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#221 「本物と偽物のはざまで」
いつのころからか、世界は偽物であふれかえることになってきた。それがさらに増殖し始めたきっかけは疑いなく、このネット社会の始まりである。毎日開いているメールやSNSの中では、さながら「偽物のパーティー」が開かれているようだ。
もちろん、偽物というのは昔からあったに違いない。たかだか昭和時代の半ばからしかこの世を見ていない私は、遠い昔にどんな偽物が世の中で巣食っていたのか知る由もないが、すでに海外駐在時代には、道端で当たり前のように「ROLEXあるよ」「見るだけ」と日本語でささやきかけてくるヤカラがウジャウジャいた。私たちもその店を見に行ったり、「シンガポール名物」としてお土産に頼まれたりしていた。よく「中身はSEIKO!」とかを売りにしていたし、性能は悪くなかった。
絵画の作品には「著名な贋作」など、贋作がひとつの芸術作品として脚光を浴びることがある。そうなると、「偽物が転じて本物になる」ということも言えるかもしれない。有名なドイツの画家で贋作家、ウォルフガング・ベルトラッキは、その精巧で緻密な贋作作品のほうで有名になり、3年程度服役した後は自分の名前で作品を描き続けている。
偽物は偽物、それが良いことであるわけはないけど、何となく昔の時代は偽物というものに「可愛さ」や「愛嬌」があったように思う。「悪いんだが許せるエピソード」とでも言うか。
そして現在はと言えば、コロナ禍で一段とアクセルがふかされ、偽物が電波に乗って果てしなく氾濫する時代に入っている。取り締まるホワイトハッカーとの間でいたちごっこになっているが、まるで追いつかず、偽物や詐欺案件などは広がり放題になっているような気がする。そう、偽物がただの偽物でとどまらず、明らかに犯罪、しかも広域犯罪の片棒を担がされるようになってきたのだ。そしてそれで傷つく人々が増えている。恐るべきは技術の進歩とそれをちゃっかり悪用する側の終わりなき戦い。

さて、私が最近感じている一番の悩みはネットから流れてくる情報の「どれが本物で、どれが偽物か」ということ。「国税庁」「警察」「某電信電話会社」「某カード会社」といった大きな組織を語った偽物メールやその他情報が堂々と流れてくる。どれが本物でどれが偽物か、なんとなく雰囲気で判断して振り分けているが、どれも「決定的な見分け方」があるわけではない。おそらく中身を見ないで「迷惑メール」に振り分けたものの一部は本物であったはずだ。そして、その真面目に応答しなければならない会社が必要だった情報は完全にスルーされ、その情報がないために今後の運営に困るということが起こる。一方で本物だと信じて明けたメールがジャンクメールでウィルスを迎え入れることになったり、詐欺メールで見事お金を騙し取られたりする不運が起こる。なんとも理不尽な世の中である。
今、このテクノロジー社会に求めること。それは情報が入ってくる段階で、完全に「本物か偽物か」を振り分けて本物だけを入れてくれる技術。こういうAI技術は可能だと思うのだが、はてさて。とにかく平和な社会を願う。(写真:浅草の神戸牛専門店、神戸牛は本物だとして、このスパイダーマンは?)

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