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#220 「AIのトリセツ」
一昨日、所属している兵庫県認知症介護指導者のアフターファイブの集まりに参加してきた。そこでも話題になったのは、やはりこれからの介護とAIのお話し。お国からもAIの利用を前提としたさまざまな指針も出始めている現状、うちの業界でも徐々にAIに関して全体的な指針も、事業所ごとの考え方なども議論され始めているようだ。
当初は肌感覚ながら、もっぱら「AIは介護に馴染まない」という見方が多かったように思うが、今はそんなこと言う人はもはや少数で、事業所をあげて「AIをどう活用するか」が積極的に議論されている。とにかく人材不足が課題のこの業界は、AIはケアの中身よりも、「人の手間をいかに省くか」を焦点に考えられているように思う。
実際にケアマネさんの現場について聞くと、AIを用いてケアプランを作っているところも少なくないようだ。業界の中ではどの職種も例外ではないが、ケアマネさん不足の状況も深刻で、とにかく仕事を前に進めるためにはAIを利用して効率的にケアプランを作るというのもやむを得ないのかもしれない。
高齢者の尊厳について考えると、「私の生活がAIに指示されている」という状況は私ならあまり歓迎したくないが、それは考えすぎという声も聞こえてきそうだ。
さて、今までさんざんブログにも書いて宣言してきたアンチAIの私が、「では、ここで方向転換します」と簡単に言えるものでもないが、(一方、人のプライドは案外簡単に崩れるものという意見もありつつ)そろそろあまり大きい声でアンチだアンチだと叫ぶのはやめようと思っている。誰もほめてはくれないし。かくいう私も英語の作文を仕上げるときに、最後の段階でAIによる推敲をしてもらったりしている。またスマホで検索すると最近必ず「AIによる回答」というのが出てくるが、結構参考にしている。また生活のどこかで知らず知らずAIのお世話になっていることは間違いない。世界が大きく「生活にAIを取り入れる」ことが流れになっている中で、かたや少しはお世話になりながら「アンチAI」と叫んでも「どの口が言っている」と言われても仕方がない。
そこで私が守ろうとしているのは、AIに100%任せず、最後に自分の手を加えるということだ。料理で言えば、最後に「自分だけのひと味を加える」ということ。だから、AIに推敲してもらった文章でも、必ず自分らしい表現を入れて手直ししている(なので結果的に何個所か間違える)。間違えること、完ぺきではない人間らしい創作を楽しむことも面白くないだろうか。AIが作ったケアプランだって、最後にケアマネ自身が一片の愛情をその人に寄せることで、ひと味加えることは可能だろう。そうだ「愛」だ。人間でなければできないことは「愛」だ。

いくら生成AIが完璧な絵を描いたり、音楽を作ったりしても、ゴッホやチャイコフスキーを超えることができるだろうか。それは、その作品の完成度という意味ではなく、そこにゴッホやチャイコフスキーしか持たない味、そしてその作品に対する愛が加わるからだ。このようにして、これからいくらAIに傾倒していったとしても、世界はAIに支配されるのではなく、人がAIを「利用する」ことに徹することができるだろう。(写真:大きく育て、うちのレモネード)

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