#211 「93歳化学の子」

 「科学の子」といえば鉄腕アトムだが、うちの93歳氏は「化学の子」だ。いこいの広場3丁目のもはや目玉の活動になった月一の「火曜日の1時間de勉強会」が火曜日に行われ、93歳の化学の子が「化学のおはなし」を担当した。

 これは父にとって肝いり案件であり、念願のトピックだった。「わしの番だったら化学の話をする」というのはすでに数か月も前に言い出していて、他の回の担当座長のことを「○○さんは本当に話すのか。大丈夫か」等と余計な心配をしながら、自分はといえば余裕をかましていた。息子が代わりに心配をした。長らく化学畑を歩いてきた父ではあったが、化学の何を話すのだろう。やきもきするのは本人ではなく周りのほうだった。

 ある親切なレギュラーメンバーさんはわざわざ図書館から「化学入門」の本を2冊借りてきてくれ、化学実験キットを用意してつどい場にもってきてくれた。父は家に帰ってそれらをパラパラとめくった後、「せっかくやけど、こんな難しいことはわからん。申し訳ないけど」と宣わった。「いえいえ、入門書でしょ。これ参考にしていくつか簡単なクイズとかを用意したら楽しいんちゃう?」という息子の提案は桜の花びらのように風に舞い散った。その代わりに、つどい場にホワイトボードを用意してくれないかというリクエストが返ってきた。

 勉強会の前日もその当日の朝も(心配性なので普通ならあれこれ聞いてきてもいいはずなのに)平然としている父を見て、こちらの不安はさらに増し、あれこれと話しかけたが、「まあ何とかなるだろう」とのことだった。最悪の場合を考えて「場を持ち直す」方策をいくつか頭の中に用意した。

 勉強会が始まって、父は壁に貼り付けた「貼るホワイトボード」の左上の隅に「C」と書いて、「ケミカルのCです」と始めた。しばらくはそのC一文字がホワイトボードに存在感を醸し出していた。何が始まるのだ。その後、父は実にスムーズに自分の生い立ち、そして高松の工業高校(当時は中学)に入学した後、実験室に置かれていたビーカーやフラスコに魅せられたこと、戦後、焼け野原の中でどのように学校が再開したかということや一人で兵庫県に就職に出てきたことなどをとうとうとしゃべった。途中でいくつかの専門用語や化学式を壁に書きつけながら。いつもテレビの前でソファーの重しとなっている父が光って見えた。まるで頭の中に講義のノートがすべて用意されていたかのように、(参加者に質問を促す余地もあたえず)しゃべり続けた。途中何度か考え込むことはあったが、最後まで、そして最後の締めの言葉まで父はやりきった。「なぜか課長に推薦されまして」とか「工場長を任されました」とか自画自賛の言葉をはさむことも忘れずに。

 そうか、これは「化学のはなし」というタイトルの名を借りた、「栄光の自分史」のお披露目だったんだと気がついた。そして、つい昨日のことは忘れても、大脳皮質に深く刻み込まれた「自分の栄光」は決して消えることがないということを改めて理解した。普段、できないことばかりに目を付け、小さなことを指摘している自分が恥ずかしくなると同時に、もう少し父のことを見直し、尊敬せねばと反省する機会となった。

 威厳は少なかったけど、穏やかな性格で怒られた経験がほとんどなかった父。交代勤務で夜遅くに帰宅して平日はあまり顔を合せなかった父。私よりはるかに運動神経が良く、また手先が器用でクラフトや刺しゅうなど多趣味だった父。今もできないことを補ってなお余りあるできるところ、いいところがある。父の再発見のいい機会となった。しかし父はなぜ自分の年を言うとき「2歳上にさばを読む」のだろう。もう何十回と直しているが、いつも「私は95歳です」と言う。何かの確信があるのか。96歳になったら何というのだろう。

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