#120 「ドーサカ」

 木曜日に久しぶりに梅田界隈を歩きました。その日、楽しみにしていた「砂の器」シネマコンサートが午後、フェスティバルホールであったので、午前中はパソコンなどの品定めのため久々にヨドバシカメラに寄ることも行程表に組み込んで懐かしの大阪探訪の旅に出ました。

 大阪梅田の界隈を毎日のようにブラブラ(というか通過)していたのは、大阪外大が箕面市に移転する前、まだ上本町8丁目にあった、たかだか最初の半年間のことでしたが、まるでその半年間はその10倍に感じるくらい濃い日々でした。

 JR大阪駅中央改札から南へ地下に降りて地下街を歩き、地下鉄東梅田駅から谷町線に乗って四天王寺前夕陽が丘駅で下車し、古くなって廊下がキシキシと悲鳴を上げる上八(うえはち)キャンパスまで歩く。地下街に降りたときにいつも同じ場所に座っていた障害者の方、全国都道府県のお土産店が並んだ路地、ベルトコンベヤーに乗った品物のように同じ速度で流れる人々、少しでも立ち止まるともみくちゃにされて大変でした。人、人、また人・・・・。

 梅田界隈の想い出は昼間は地下の世界にもぐり、夜になると地上に出てきて曽根崎けいさつの前や東通りの飲み屋街を徘徊する、まるでモグラのような生活でした。

 大阪駅周辺の再開発は新幹線くらいのスピードで進んでいて、今は昔の姿をほとんど止めなくなっています。駅舎自体が大きく姿を変え、駅の北側のグランドフロント、桜橋出口の郵便局本局は大型商業ビルKITTEになり、堂島から渡辺橋を渡って中之島に向かう四つ橋筋通りも見違えるくらいに大きなビルが立ち並んでいます。いつも頭をひねるのはこれだけのビルを建てて入居者がちゃんとあるのか、採算が合うのかということです。人口の割に開発の規模が合わないんじゃないかなと。知らんけど。

 その中で、地下の街はそれほど変わっていないのではないかと思います。昔ながらの物産店もキャベツだけをつまみにする立ち飲み屋もあると思います。地上の見える部分を華やかにして、地下の見えない部分は古くノスタルジックな姿を残しておく手法は、綺麗な張りぼての人形を彷彿とさせます。でも実際のところをあまり知らないのに知ったように言うのはやめよう。今は「近くて遠い」ノスタルジーの都となった大阪、もっともっと探索してみたいという気にさせられた日でした。

 学生時代のノスタルジックな大阪を思うとき、いつも思い出す歌があります。

 大阪外大のフランス語会話の授業の初日、フランス人の女性の先生から、自己紹介の仕方を習いました。その中で習った「大阪外国語大学」は、今となっては正しく覚えているか自信がありませんが、 “l’universite d’etudies de langue etrangere d’Osaka” (リュニベルシテ・デチュディエ・ドゥ・ラング・エトランジェー・ドーサカ)という長ったらしいものでした。フランス語では英語のofにあたるdeと次の母音がリエゾンするルールがありますので、最後の単語の発音は「ドーサカ」になります。このドーサカというのが、語科の仲間たちの間でツボにはまり、「ドーサカ、ドーサカ、雨の北新地~♪」と当時はやっていた歌に合わせて歌っていたというたわいもない思い出が時々よみがえってきます。

 でも、確か当時は「雨の北新地」じゃなくて「阿倍野、北新地」と歌っていた気がします。

 

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