#203 「チャイコフスキー交響曲第5番」

 演歌以外はすべて聞く私だから(演歌も必要があれば聞きます)音楽に関する知識はどうしても広く浅くなるのだが、そのいくつかのカテゴリーの中でもちょっと多めに聞いていたというものもある。クラシックで言えば、間違いなくチャイコフスキーだろう。学生の時は第6番「悲愴」のほうをよく聞いて、「悲愴同好会」なるまさに悲愴な名前の集団にも入っていたが、「悲愴が好き」というだけで特に何の活動もしない残念な集団だった。第6番「悲愴」は第5番よりやや情感が深い、解釈も少し難し目のものだと思うが、何故か歳をとるにつれて、このわかりやすい第5番のほうが聞く機会が多くなり思い入れも強まってきた。

 そして最近、この第5番を聞く機会がさらに増えてきた。実際に何かの記念で演奏される機会が多くなったのか、気にし始めるとその情報がより入ってくるようになったからなのかはわからない。昨年はあの日本を代表するようになった山田和樹の指揮でバーミンガム市交響楽団の演奏、そして昨日はすでに移転が決まっている神戸文化ホールでの神戸市民交響楽団の演奏だった。私のかつての職場の同僚が第1バイオリンを弾いている。まあその姿は凛々しくカッコいい。

 第5番を聞くとき、何故か毎回頭の中では同じ絵が浮かんでいる。それは蒸気機関車の動輪のような、あるいは大きな鉄の歯車のような絵。それがぐるぐると回っているのだ。チェロとベースが刻むズンズンズンズンというリズムはその大きな動輪が回るモーターのリズムで、その動力に乗って管楽器が力強いメロディー(主旋律)を奏でていく。ちゃんと音楽書を読んで研究したわけではないので(研究せんかい!)本当にイメージでしか語れないが、このシンフォニーは、第1楽章からあちこちにこの主旋律が伏線として表れてくる。この力強い主旋律は心の中のポジティブな気持ちで、ときどきポジティブになりながらも揺れ動いていた気持ちが最後にめっちゃ前向きに爆発したという感じだろうか。

 なぜ学生の時に「悲愴」だったのが、この歳になって「第5番」に変わるのかよくわからないが、やはり青春の繊細な心の動きが象徴したものと、老いの中で無理にでも追い求めていく(人生のエンディングに近づく段階での)ポジティブさの違いなのかもしれない。曲のエンディングのほうでテンポが少しゆっくりになって、もっと大きな動力でもっとフォルテで主旋律が奏でられる部分はいつも鳥肌が立つ。そこで回る動輪はもっと大きくクリアに光輝いている。多分、「自分の中での完成形」なのかもしれない。

 なんていっぱしに書いていても、楽曲の評論とか読んでみるとまったく違うことを書いているような気もする。別にええねん。かまへんねん。音楽を鑑賞するのは自分なんやから。なんでここだけ関西弁になるのかは謎。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • チャイ5ですね 私の廻りにも6でなく5番が大好きな方が以外と多い ちょっと世間とは変わってる方々ですが ええ意味でね
    ベートーヴェンは3や5より7が好き と同じ?
    少し違うか
    チャイコフスキーはどの曲も旋律が美しくて
    すぐに心に染みて共感しやすい!

  • 旋律がきれいですよね。会員ナンバー2さんが大好きなラフマニノフもそうですが、ロシアの作曲家に共通するものがあるんですかね?まあ、今のロシアが•••いや、もう言わんとこ。

会員ナンバー2 へ返信する コメントをキャンセル

目次