#202 「めがね男子」

 小学校4年生で仮性近視と診断され、「なるべくテレビを見たり漫画を読んだりするのを控えるように」と医師に指示を受けてショックになってから、私の人生は常に目に関するトラブルがついて回るものとなった。仮性近視を通告された時は涙ながらに「タイガーマスクだけは見させて」と訴えたことが思い出される。ってタイガーマスク!

 かくして私は幼くして「めがね男子」の仲間入りを果たしたのだが、その後の人生55年の中で、しばらく「めがね男子」を返上した時期がある。いや、めでたく近視を卒業したわけではなく、当時はやり始めたコンタクトレンズにしたのだ。しかし私の値段の安いハードレンズは結構メンテナンスも大変で、一日一回外して洗浄するのはもちろん、洗浄液もいくつかの種類を混合したり使い分けたり、またレンズのほうは瞬きをした拍子にパコンと外れて飛んで行って、結局なくなって困ることもザラだった。今でも「床を這いずり回ってレンズを探している」の図が脳裏によみがえる。

 コンタクトをしていたのは、色気づいてきた大学生のころから、シンガポールでバリバリ仕事をしていた30代半ばごろまでの約15年間だったが、改めて振り返れば意外に長い期間だったと感じる。それくらい自分はいつも「めがね男子」だったような気がする。

 タイガーマスクも控えねばならない状況から残念ながら私の近視の度数は順調に進み、そのうち視力検査の一番上のCの文字も見えない状態になっていた。そもそも文字が書いてあるのかどうなのかもわかりにくい。視力検査の時、「空いてません」と言って「どこかは空いてます!」と真面目に返されたこともあった。

 シンガポールでまだコンタクトだったころ、急に右目の中に蚊がブンブンと飛び、そのうちに目の隙間から光がキラキラと差しはじめ、またカエルの卵のようなものが流れ始めた。何が起こったかわからなくても、これはやばいと感じた私はまず眼鏡屋に駆け込んだ(なぜ眼鏡屋に駆け込んだのかは意味不明です)。そこでアドバイスを受け、眼科クリニックに行って診断されたのが「網膜裂肛」だった。近視が強すぎて眼孔が横長になり、網膜が破れる現象で、すぐにレーザー手術を受け、一目、いや一命をとりとめた。それから私の目の中では、そのレーザー手術の遺物の白い地球儀のような形のものがずっと飛んでいる。その症状とコンタクトレンズは「あまり直接の関係はない」と言われたものの、怖くなったので私はそこからまた眼鏡に戻した。「めがね男子」が復活した瞬間だった。その後約20年たって私は左目も網膜裂肛になる。

 「人生の扉」の歌のように40代も半ばになり、帰国して介護の仕事を始めたころ、私の目は大概の人がそうであるように老眼という魔の手におかされ始めた。眼鏡は遠近両用となり、用途によって眼鏡をとっかえひっかえしなければならなくなってきた。そして60代になって突如宣告されたのが「緑内障」だ。まったくノーマークだった病気が突然やってきた瞬間だった。幸いにまだそれほど深刻な状態ではなく、点眼薬と毎月の眼圧測定でなんとか保っているが、悪くすると失明まで進む病気なので決して侮れない。

 目は自分の身体の歴史の中でも最大のウィークポイントのひとつである。家族、親類を見渡しても「目が悪い」という人はあまり聞いたことがないので、突然変異だろう。突然変異は悪くない。やった!出る杭だ。なんだか目が悪いことが誇りに思える今日この頃。ウィークポイントだが、同時にチャームポイントにしよう。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 見た目には全身健康体であるケンさんは目が弱点でありましたか 目に暗黒の歴史有り
    目については私もこの何年か前から原因不明で左目が四六時中シコシコしてて鬱陶しくてかないません 
    生きてるとウィークポイントが増えるばかりですね それをチャームポイントに変えるなら
    私の場合は潰瘍性患う大腸
    そんなアホな

    • ウィークポイントをチャームポイントに変える、いいアイデアと思いませんか?弱みを強みに変えるということです。因みに私の頭は最大のチャームポイントと言われたことが実際にあります。

ケンちゃん へ返信する コメントをキャンセル

目次