#107 「地元愛」

幼いころから「地元愛」が強すぎる人間だったと思っています。それが一番よく表れているのが、スポーツでの「地元チーム」に対する熱の入れようです。プロ野球では、何を隠そう、小学校低学年の頃はジャイアンツファンでした。それはガキ仲間から聞こえてくる声が圧倒的に「王、長嶋」といった巨人軍の有名選手の名前だったので、他を知らなかったということもありました。今も忘れませんが、野球カードで、それぞれのジャイアンツ・ベストナインを組んで遊んでいたのを覚えています。

 それが、自分のアイデンティティーが確立されてくるにつれて、具体的には小学4年生のころには、タイガースファンに鞍替えしていました。そして、それからかれこれ54年、私は一度も浮気をしたことはありません。一番大きな理由はやはり地元球団だったからです。その頃になると回りは、阪神ファン、巨人ファンにほぼ二分されていました。

 高校野球で言えば、もちろん兵庫県の高校です。地元の高校が負けた日には、怒ったり悔しがったりでしばらく口も利きませんでした。家族も手を焼いていたでしょう。

 タイガースの試合は、当時はほぼ全試合をちゃんと見ていました。今の情けない姿(後述します)から考えるとガキの私は立派でしたね。午後6時45分くらいに「錨を上げて」のテーマ曲で始まるサンテレビの「ボックス席」野球中継番組に心を弾ませていました。チャンネル権を奪われた他の家族にとっては迷惑そのものだったでしょうね。R.バルボンさんの面白おかしい解説も大好きでした。村山実はもうあまり活躍していなかったかもしれませんが、江夏、田淵、藤田平、遠井五郎、一枝、そして今でも一直線に飛ぶ弾道が目に浮かぶカークランドなど懐かしく思いだします。

 オリンピックでは、もちろん地元、日本チームの応援です。まあ日本人で、オリンピックで一生懸命アメリカやフランスの応援をしているという話は聞いたことがありませんが。オリンピック競技自体があまり好きではない人、興味がない人を除いては、ほとんどは日本が一体となって日の丸JAPANを応援すると思います。まあ私の場合はそれが細かく分化した地元地域にも当てはまっているというイメージです。

 マラソンではなく、駅伝が好きです。チームでタスキをつなぐという姿が眩しく美しく、「何人抜き」で形成を逆転するその胸がすくような思いも醍醐味です。勝利をチームで輪になって喜ぶ、その姿にも魅せられます。当然、兵庫県地元の高校、都道府県対抗ではゼッケン28番を応援します。箱根駅伝は「地元が出ないから見ない」という嫌らしいやっかみは捨てて、最近は妻の母校、駒澤大学の応援です。

 さて、大人というよりは高齢者の入口に立つくらいの今は、逆に地元愛、チーム愛が強くなりすぎているのか、あるいは諦めが悪くなっているのかわかりませんが、ことスポーツ観戦と言うことでは変な習慣がついてしまっています。

 まともに生で観戦できないのです。見ていても形勢不利になるとチャンネルを変えます。そして経過をちょいちょい観察するのです。自分が熱を入れているスポーツであればあれほどその傾向は強いです。スポーツファンの風上にもおけません。家族に言わせると「本当のファンではない」ということです。「弱いときも病めるときも常に寄り添って応援する、それがファンたるものだ」と。いやはや、その通りです。返す言葉がありません。

 今は地域の居場所を運営しています。これも地元をなんとか活気づけたい、という地元愛の気持ちがどこかにあります。もちろん、どこぞの大統領のように自分の国がよければあとはどうでもいいというのは、あれくらいの権力をもっている立場の人としては疑問を感じざるを得ません。私は地域だけで良いということではありませんが、地元を愛しながら世界を見据えて行きたいと思います。ちょっと大ぼら吹き過ぎました。

(写真はサンスポのサイトより)

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