「自立と支援のはざまで」

高齢になって、特に後期高齢くらいになって一番難しいのは「いつまで自立でできて、いつから支援(介護)を受けなければならなくなるのか」という境目を見極めることでしょう。その見極めは、自分自身で、というよりも往々にして家族の仕事になることが多いように思います。そうなると、家族の責任は重大であると言わざるを得ません。

その見極めた境界線は、ときに「その人の今の実際の力」に比べて早すぎて、結果、その人の能力を奪ってしまうことになることもあれば、逆に適時を逃してしまい、生きづらい状態を長く作ってしまうことになってしまうこともあるでしょう。間違っても「手遅れ」というようなことにはなりたくないものです。

人間は、その尊厳やQOLを保つために、出来るだけ長く「自立している」ことを自ら求めるものだと思います。これは、本人がそう思うだけではなく、家族もそれをよく認識していないといけないものだと思います。

一方で、人が支援を受け始めることが、即、「自立をすべて放棄する」ことでないのも事実で、ある部分での自立を長く続けるために、他の部分の支援を受ける、ということもあり得ます。それを端的に言い現わしているのが、福祉の世界では何度もお世話になる「自立支援」という言葉かもしれません。

さて、話しはうちの父親のことになりますが、父親にそろそろ支援が必要だと思い始めたのは、ここ1年ちょっとくらいのことです。それまでは、父親には介護なんて最後まで必要ないのではないかと本気で思っていましたが、あっという間に出来ていたことが出来なくなり、分かっていたことが分からなくなり、歩行が不安定になって散歩の最中に複数回転倒したりしはじめて想定外に早くそのタイミングが来たことに驚いたものです。

特に猛暑日が続いた昨年の夏くらいから、転倒への怖さも重なって、毎日欠かさず出ていた毎朝1時間程度の散歩に出なくなった父。家に引きこもり、すっかり不活発になってしまった姿を見かねて、リハビリ運動やデイサービスに通ってほしいがために介護保険の認定調査を受けるよう手配し、結果として週に2回、デイサービスにも行けることになりました。本来の人見知りの性格ゆえに「デイなんて行かない」と言われるのも覚悟していましたが、意外や意外、毎回、デイの日が待ち遠しいくらいに、楽しみにしながら通っています。

その裏に潜む家族の心理はと言いますと、デイサービスに行くことによって、本人の生活全体が活発になり、全体のQOLが上がればいいと考えたという本音があります。

一方で今、何が起こっているかと言いますと、デイサービス以外の日は、以前よりも更にだらっとしていますし、自立で入っていたお風呂も「デイで入れてくれるから」とパスする日が増えました。生活全体を活性化してプラス効果を期待するのが、結局プラスマイナス0で、「ちゃら」という感じです。

まあいいか。なかなか、その当事者本人は、家族の思惑通りにはいかないものです。というか、そもそも「他人の思惑で人が生活する」と言うこと自体が、いくら家族とは言え、傲慢なことなのかもしれないと少し反省しています。

思うに、高齢もかなり「超」がつくようになると、その人の「出来ること」という器はもう大きくならずに、少しずつ小さくなり、そしてある日、旅立ちに向かうのかもしれません。NHKの科学番組「ヒューマニエンス」によると、人は死の5年くらい前から、いくらたくさん食べて栄養をつけても、BMIは緩やかに下降を続けるそうです。うちの父が今、どの段階にあるのかはいくら家族の私でも明言することはできませんが、スパルタ息子もそろそろ卒業しないといけないのかもしれません。

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