Myコラム(5) 「終末期と人生会議と終活」

皆さんは人生の最後をどのように迎えたいでしょうか。「そんな縁起でもない話しは、今しなくてもいいじゃないか」と言っても、人間であれば、その時は確実にすべての人にやってきます。それは本当に明日のことかもしれないし、何十年も先のことかもしれないし、そればかりは誰にも分るものではありません。その時が突然のように訪れることは、本人にとって耐えがたく残念なことでしょうが、それ以上に家族に混乱、受け入れることの難しさ、深い悲しみ、喪失感を招くことは言うまでもありません。だからと言って、最期を迎えることが容易にわかればいいというものでもなく、そのような中で自分をコントロールしながら生きていく本人も、ケアする家族も大きな精神力が必要でしょう。

よりよく生きるための方法が日々模索されてきているように、よりよく人生を終えるための方法も同じように日々模索されてきています。人類の長寿化に伴い、以前は病院で亡くなることが多かったですが、昨今は施設で、自宅で、となくなる場所についても多様化してきています。最近では「在宅での看取り」ということが頻繁に選択肢に加えられてきていますが、「自分の家で最期を迎えること」がベストチョイスだと主張するよりも、個人個人の尊い想いや願いが個別に大切にされる世の中になることが何よりも大事だと思っています。このように、人生の終わりにどのようにケア、医療を望むか、個人の想いや願いを個別に確認しておく手続きが、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)であり、日本語での愛称が「人生会議」と呼ばれるものです。これは最近では非常に重要なプロセスとして医療、介護の現場で実践されてきています。

終末期はある程度、死期が近づいた段階のことですが、そうじゃなくても、私たちのように、明らかに人生も後半戦に入ったと思われるなら、もう「縁起でもない」などと言わずに、終活(人生の最後に向けて準備する活動)を積極的に行うのがおすすめです。私たちの居場所カフェでは、終活アドバイザーの資格を持つメンバーが座長になって、何度か「終活勉強会(セミナー)」を開催しています。

その中で私たちがシェアしていることの最も大事なことは、終活とは、「よりよく死ぬためのものではなく、よりよく生きるためのもの」ということです。人間だから、あと何年かはわからないが確実に死ぬという未来の事実を前提にして、何を準備し、何を片付け、そして最後に悔いを残さないよう、これからの人生を素敵なものにするために何をやりたいか、何ができそうか、何は捨ててもいいか、そのようなことを自分なりに準備したりまとめたりするのが、いわゆる「終活」だと私は思っています。そして、もう一つのキャッチフレーズが「生涯がスタートライン」ということです。つまり、何歳からでもスタートラインに立てるということです。「残りの人生を終える」ではなく、「残りの人生のスタートラインに立った」ということです。

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