Myコラム(4) 「地域の中で認知症の人と共に暮らすこと③」

今年1月に認知症基本法が施行されました。「基本法」というのは、その施策に関する基本的な理念や方針などが謳われるもので、ビジョン、目的、方向性などが盛りこまれます。認知症施策もやっと木に幹がついたということで、これからその木にたくさんの枝葉(個別事案の法律)が生えてくるわけです。

これまでの認知症の施策の流れを簡単に紹介すると、主には「認知症を知り、地域を作る10か年の構想(2005年~2014年)、認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン、2013年~2017年)、認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン、2015年~)そして認知症施策推進大綱(2019年)と進んできたわけです。長期間をかけて試行錯誤が加えられてきたあと、ここにきていよいよ「認知症基本法」という法律にまとめられたということで、ついに基本方針(木の幹)はこれだという確信が生まれたという意義深いことかと思います。いよいよ、これからその木から枝が伸び、葉っぱがつき、そして花が咲き、果実が実ってくることになります。

その木の幹である基本法の「理念」は何かというと「共生社会の実現を推進する」ということです。2019年の認知症施策推進大綱のときも、「『共生』と『予防』を車の両輪として」、という理念がありましたが、まだ「共生」という言葉が生まれて間もないときの「共生」には体裁を繕ったような、むしろ少し壁を意識せざるを得ないイメージがありましたが、今回の基本法の中の「共生社会を実現するための」という文言の中の「共生」には国民がみんな平等なラインに立つという、より広く大きなイメージをもたせるように感じる・・・と認知症介護研究・研修東京センター長、粟田主一さんが言われていたように私は理解しています。

さて、今日は妙に堅苦しい話から入りましたが、認知症に関してこれからの世の中は、この「認知症基本法」が軸になって考えられていくと思います。

本当の意味での「共生社会」って何だろう、これはジェンダー、国籍、障害の有無、富める人も貧しい人も、などなどまさに多くの違いや壁が完全にはなくらなないにしても、それを超えて「共生していく」ということです。その違いは残念ながらなくなりませんが、要は、お互いの理解と寛容と思いやりがキーワードだと思います。これらがあれば、人種差別やいじめ、フィッシング詐欺、障害者虐待、ホームレスへの攻撃なんかは起こりえないのです。「相手のことを考える」気持ちが本当に社会に広がれば、話は飛躍しますが、自分や自分の国の立場ばかり訴え、それを「正義」として戦争するなんてことも本当は起こりえないのです。

「認知症の人と共に暮らすこと」から本当に飛躍してしまいましたが、人々が守ってほしいことは結局ただ一つなんだと思います。それは「相手のことを自分のことのように考える」という小さなことに過ぎません。

(「地域の中で認知症の人と共に暮らすこと」完)

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