Myコラム(11) 「人のQOLについて(後編)」

 後編を上げるまでの時間がかかってしまいましたが、実は、この間にコロナにかかっていました。しかも家族全員がです。熱は39度まで上がりましたが、今はおかげさまで軽快してきました。その顛末については次回のブログに回します。

 さて、まだ完全に働かない頭で書いていますが、「世界の90億人には90億通りのQOLがある」と前編で書きました。

認知症の人本人とご家族のQOLの高い状態を保つというのは「認知症ケアの理念」そのものであると言えますが、では、「昔流行った唱歌をかければ、QOLが高くなるだろう」とか、「やっぱりすごろくゲームがいいはずだ」とか「食べ物は芋たこ南瓜、いや煮物だ」とか「ラジオ体操がいいに決まっている」というのは、QOLを固定観念でしか見ていないということになるのです。必ずしも、それが悪いということではありませんが、それがすべてにいいことでもないのです。「○○がいいはずだ」という一般的な考えを客観的QOL、その個人個人の意向が反映されているものを主観的QOLと呼びます。

認知症の人の本当にその人らしい生活を支えようとするなら、主観的QOLが大切なことは言うまでもありません。

90代の女性利用者で、「煮物は好かん」と油ギトギトのステーキをペロッと平らげた人がいました。(昨今のお年寄りは、総じて煮物より天ぷらやフライなんかの方がお好きなようです)みんなで唱歌を歌っているときに部屋に逃げ帰り、クラシック音楽を聴いている人がいました。現場のスタッフにとっては、その人その人のQOLを把握し、サポートしていくのが大事なことは明白ですが、実情はと言えば、なかなか今の介護現場でそれが難しいのも事実ですので、ジレンマですね。

とにかく私たちは、人生の終盤に向けて、自分にとってのQULが高い状態とは何かをもう一度よく考え、それを書き留めていくことが大事でしょう。後から追加するのも全然ありです。そして、そのノート(記録)がうまく、将来私たちを支援してくれる人の目に留まれば幸いです。あるいは日頃から、SNS発信やつどい場で人にしゃべりまくりましょう。発信すれば発信するほど、私たちの希望は人の心に残るはずですから。そしてその周囲の人たちのかかわりで幸せな人生を送ることが出来るはずです。

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