Myコラム(4)「地域の中で認知症の人と共に暮らすこと②」

思うに、本質論として、わざわざ「地域の中で認知症の人と暮らすこと」などと言う必要があるのかというところから始まる気がします。「地域の中で糖尿病の人と暮らすこと」と言いますか、もっと極端な例で言えば、「地域の中で薄毛の人と暮らすこと」と言いますか、という話だと思っています。

 糖尿病、肥満、背が低い・高い、薄毛、声が大きい・小さい、痔主、アレルギー体質、ルックスが良い、足が速い、などなど数え上げたらきりがないですが、これらは体型、体質、そして健康状態などでその人その人に備わった特質です。障害や認知症などもそれらに含まれるはずですが、本人に精神的なダメージや生きづらさが伴うというグループになるかと思います。もちろん、そのようなつらさは他の病気についてもだいたいはそうなのでしょう。

そのような話なので、一緒に地域で生活している人が「あの人は認知症だから」とか「あの人は障害を持っているから」と壁を築いたり、自分は違う世界に住んでいるからと考えたりするのは、やはり的外れなことなんじゃないかと思います。

私たちがやるべきことは、先ずは回りの人間に関心を持つこと、そういう小さいことからだと思っています。日本では、高度経済成長の折に集合住宅がすごい勢いで増えていき、昔ほどに隣近所との付き合いがなくなってきたのはよく言われています。お隣さんがどういう人で何をしている人か知らないというのも珍しい話ではなくなりました。私の子供のころは、母がよくお隣さんから食材を借りてきたり、お裾分けをしたりしていましたが、そのような文化はなかなか今は根付かないとしても、朝夕のあいさつや、隣のいつもと違う様子やそんなことには少しずつ関心をもっていくことが大切だと思います。

共生社会って認知症の人だけではなく、まずはお隣さん、そして近所の人、そこから始めていくのかなと思っています。その隣人の中のひとりに「認知症とともに生きる人」もいるのだと思います。サポーター講習などで、認知症のことを勉強するのはとても大切なことでしょう。その次は、実際に人と交流することではないでしょうか。「認知症の人に会ったことがない」という人もいるでしょうが、先ずは隣人、道行く人、高齢者、そういうところから始めていくのが大切だと思っています。

(Myコラム「地域の中で認知症の人と共に暮らすこと③」に続く)

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