#073 「夢のまた夢」

このブログで夢について書くのはもう何回目でしょう。それくらい夢は私の生活にとって存在感があり、影響を及ぼすものです。感覚的には寝ている間はほとんど夢を見ていると錯覚するくらいよく夢を見ます。

 昨夜の何本立てのうちの1本は、企業の駐在員時代に戻っていて、シンガポールにピアノの新しい代理店ができ、そのショールームのしつらえを責任者と一緒にあれこれ考えている場面から始まりました。お互いに新しい門出を祝う喜び溢れる雰囲気ですが、私には不意に不安がよぎります。「まてよ、既存の代理店から間違いなくクレームが来るな」と。しかしその不安は杞憂に終わり、次の場面では既存の代理店の社長(実在の人物で、恩人のような存在です)とニコニコしながら話をしているのです。ああ良かった。

 3日前の(覚えているということはとても印象が強かったからです)は私がどうも高校の進路指導教師のような立場で応接室に鎮座しています。そして対面に座っているのは、アグネス・チャンとそのお母さんです。そして私は二人に向かってプロジェクターで資料を見せながら、「やはり音楽大学に進むべきです」と諭している夢です。

 荒唐無稽な内容です。昨夜のはまだしも、3日前のはいったいどこからそんなアイデアが出てきたのか摩訶不思議です。アグネス・チャン?音楽大学?私の夢はまさにこんな夢が多いのです。

 夢というのは、すでに大脳皮質に長期記憶として貯めこまれた記憶が、海馬がなんらかの拍子に想起させて見るものなんじゃないかと何も調べずに無責任に考えています。まあ私の勝手なブログだからよしとしてください。そう仮定すると、なんで「アグネス・チャン」と「音楽大学」と「進路指導教師となった私」がつながって想起されたのか。いや、待てよ。私はかつて進路指導教師などになった経験はないので、これは完全に偽りの記憶ですよね。そんな風に私の夢は不思議なんですが、だから面白いと言えます。

 たまに妙に現実的な夢も見るには見ますが、このような不思議な夢は大歓迎です。現実的な夢はつまらないうえに起きた瞬間の疲れが厄介です。でも、そんな摩訶不思議な夢を見ているうちに、どちらが夢でどちらが現実かわからなくなるんじゃないかと考えると怖いですね。「夢のまた夢」のような感覚でしょうか。

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