#069 「住人の総意、県民の総意(チラシ配り考察)」

朝晩涼しくなってきて、ようやく本格的に秋を感じる季節になりましたね。こんな朝はチラシ配りに限ります。毎日とはいきませんが、ようやくノルマ(1500枚)の3分の2くらいは配り終わりました。映画の上映会が22日火曜日、今日が10日、あと12日で残りの3分の1を配り切ります。

 さて、ブログ#011「チラシお断りします」でも書いた内容が重複しますが、チラシ類というものは、だいたい個人のお宅では、一括りにして「迷惑なもの」として冷遇されることが多いですよね。私は個人的にチラシ自体を「迷惑」とは考えていませんが、確かに郵便ポストに「チラシしか入っていない場合」は、がっかりしてしまいます。いや、別にサウンドオブミュージックの映画でロルフの手紙を待っている長女リースルのような立場でもないんですが。

 なぜチラシが嫌われるのか。なぜでしょう。人によってはチラシを見て「あそこのスーパーは今日はジャガイモとナスが安い!」とかの情報で夕食のおかずを決め、朝一でスーパーに走ったりもします。あの量販店では今月末まで決算赤字セールをやっているから、今月中に洗濯機買い替えに行かなきゃ!というのもあります。

いいじゃないですか、チラシ。逆に待っていた情報がぴったんこカンカンで手に入ることだってあります。そして、ドヤ顔で言うのもなんですが、私のは「地域の居場所だぞ!お役に立てるんだぞ!」という自負もあります(さもしい自負)。

 まあ、人のことは言えません。私だって、決して「チラシが入っていてよかった!」というのは、なにか特別に期待しているものを除いてはそんなに思ったことはありませんし、先述したようにゴロゴロとチラシばかりが出てくるときは悲しくなるのは事実です。

 ただ、私が今日、問題にしたいのは、特に集合住宅でよく見かける「チラシを入れることを禁止します-管理人」とか書いてある場合です。うーん、それを掲示されると、その住宅の(例えば)50戸に配布することができなくなります。こちらの効率が悪くなるという問題ではなく、いつも思うのは「それって本当に50戸の住人さんの総意?」ということです。個人的に「うちにはチラシ入れても全然かまわないよ」とか「チラシの情報欲しい!」と思っている人はいないのかしらん。

 おそらく、どこかの時点で管理組合などで議題として上がり、住人の半数以上とか3分の2以上とかの、いわゆる多数決でそれが決議されたということでしょう。あるいは、大型高級マンションなどは最初から入居条件の一つとして、すでに決まっているということもあるはずです。

その「多数決」についてですが、これは物事を決めるときには使用しなければならない手段には違いありませんが、私は日頃からこれが結構くせ者だと思っています。「少数意見に義はないとみなされる」あるいは「個人的な意見は無視される」ような社会はやはり怖いです。それを深堀りしていくとさらに長くなりそうなので今日はやめておきます。

 今日言いたかったのは、「住人の総意」、最近話題になったものでは「県民の総意」などや、もう少しくだけて「県民はみんな怒っている」とかの表現は軽々しく使われるべきではないと思うことです。それは「みんな」かどうなのか調べて初めて使える表現ではないかと思います。それで全員調べて、まあ7割とか8割とかがそうだという結果が出て初めて、「(おおよそ)みんな怒っている」と言ってもいいんじゃないかと思います。全員が同意見を持つことは不可能だと推測したうえで、7割の人が怒っているという確証が出たのなら、それは(大きく言って)全員が怒っているという言い方をしても許される範囲かなと思います。要は推測でものを言うのは危険だということです。

 マンションの管理組合も、「中にはチラシが欲しい人もいる」という意見を拾ってほしいと思いますね。個々のお宅で「チラシお断り」という札を貼るのはもちろん自由ですよね。中には「着払いで送り返します」という厳しい方もいますが、まあ理解します。 

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