#068 「男なら」

今の時代に「男なら」とか言えば、かなり時代遅れと思われるかもしれませんし、また「その言い方はコンプラ的に・・・」とか議論の対象になるかもしれません。何でしたら、「男なら」と書いて「おんななら」と読んでいただいても結構ですし・・・待てよ、それも微妙ですね。まあなんだか難しい世の中になってきたものです。

 確かに「男なら」とくくってしまうことに問題はありそうですが、私の今まで一番辛かったときはいつかと考えると、先ず疑いなく、海外から帰国し、さあ新しい仕事を探さねばと思い就職活動をするも、ほとんどが書類選考で落とされて、結局半年間ゴロゴロと過ごさざるを得なかったあの時期です。2005年のことです。つまり、「男なら」の述語として続けたかったのは、「仕事をしてなんぼ」ということです。大学を卒業する前も就職留年をして同じような辛い時期を過ごしたのを思い出します。

 しかし、いつの間にか、他の人が作った会社で働くことが選択肢からなくなりました。何でしょう。やはり年齢のせいでしょうか。あるいは、一定期間、外の会社で働いてきてお腹がいっぱいになり、あとは自分の好きなようにやりたいという自己チューの世界に入ってしまったということでしょうか。いずれにしても、「男なら仕事をしてなんぼ」から、「男なら自分で儲けてなんぼ」に代わってきました。

 しかし、この話にはまだ続きがあります。ここしばらくのことですが、さらに「儲ける」こと自体にまったく興味がなくなってきたのです。「お金儲け」という選択肢も自分の頭の中から消えていくのを感じています。来年から年金受給の対象になるからという理由もあるのでしょう。セレブのような生活は到底無理ですが、ささやかな人生くらいなら、死ぬまで送れるんじゃないかという根拠に薄い安堵感がそうさせているのかもしれません。

 ただ、原点回帰ではないですが、もう一度「仕事をしてなんぼ」ということに戻ってきました。ただし「仕事をする」の意味が「どこかに就職をして働く」ということから、もっと大きな意味での「仕事をする」、そして「いきがいを見つける」に代わってきたような気がしています。60をとうに過ぎましたので、残りの人生をそういうことに使いたいという気持ちになってきました。

 今日のブログは、私の「大学の後輩」であり、「個人事業と『風貌』の先輩(失礼)」でもある東公成くんの、ポッドキャスト番組「いつか逆転、一発満塁ホームラン」第112回「幸せは不幸の顔をしてやってくる」から大きくヒントを得ています。その中で語られていた東くん自身の「卒業前に就職試験に何度も落ちて苦労した」というエピソードが私のものとぴったしカンカン(古い)だったのです。

また、主題として言われていたのは「自分の感じる不幸は、その先にあるしあわせの前段と捉える、あるいは必ずその先には幸せなことが待っている」というようなことでした。素敵な人生訓ですよね。さらに東くんの恩師の方の言葉として「今起こっている不幸は、これは自分にとってどんな意味があるのか考えることで意義深いものになる」ようなことを言われていました。私も同じように考えますが、ちょっと因果関係が違って、「今起こっていることはすべて自分の人生にとって意味があること」と思うようにしています。つまり、意味があるから起こっているということかと思います。

 いつものことで、出だしと結論がバラバラです。まあこんなブログを書き続けます。きっと、それにも意味があると思いますから。

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