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Myコラム(12) 「人の感情、将棋の王将」
将棋のことをほとんど知らない私が、感情について将棋に例えて書いてみようということをつい今しがた思いつきました。何という無謀なことでしょう。
今までの人生でちゃんとした将棋のゲームは両手の指の数ほどもやったことはありません。先日、居場所のレギュラーメンバーの方にひとつひとつ各駒の動かし方や攻めの戦略、守りの戦略などを習いましたが、まあまったく歯が立たなかったですね。
それで、何を思いついたかというと、人の感情というものは「将棋の王将」に例えられるんじゃないかということです。それは「最後の牙城」であり、「全力で守らなければならない」ものである。それが捕られてしまうと、ゲーム(人生)は終わりと言うことです。
王将を守る角、飛車、金将、銀将などはいわゆる知性とか技術とかアートとかいろいろあります。人は様々な駒を、様々な方法で駆使して王将(感情)を守るわけです。人の尊厳(プライド)も、その感情の中に含まれると言えます。
人は人生という将棋のゲームの中で、年をとるにつれて自分の駒を失っていきます。知性とか技術とかがだんだん失われていくのですが、最後まで残った持ち駒で必死に王将を守るわけです。しかし、少ない持ち駒では十分な理論武装もできません。
私みたいにほとんど将棋を知らない人間が相手だったらいいのですが、もしお年寄りを相手にゲームをするなら、とにかく全力で手加減してあげましょう。普通は、相手によって手加減するなどもってのほか、正々堂々と勝負をするのが相手に対する尊敬だと思われるかもしれません。しかし、こと人生という将棋のゲームでは、簡単に相手の「王将」を狙いに行ってはいけないのです。私と勝負する人もぜひ手加減してほしいものです。それが言いたかったのです。
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