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#029 「ぼくがChatGPTを使わない理由」
そんな理由、興味ないという声も聞こえてきそうですが、あくまで、自分の備忘録的に書いておきたいと思います。いつか「もう使わないとやってられない、降参!」と今までの私に非常にありがちな事態に陥ったときに、このブログを読み返して原点に立ち返るためにも。
ChatGPTはおおよそ、人類の考えうるすべての質問に答えを出してくれるようです。ただ、そこまで情報収集が追いついていない場合は「すみません、それについては答えを持ち合わせていません」と素直に謝るらしいです。おそらくそんな人間的(!)なところも使用者の心をくすぐっているのかもしれません。「なんだ、知らないのかよ」と怒ったという話は聞いたことがなく、逆に「了解です。ありがとう」と答える。こんなやりとりがなされているのでしょう。(私自身が使わないので、すべてが推測体になっています)。
そして、私がANTIになっている理由は、ご想像の通り、私がとにかく天の邪鬼な性格だからというのも認めますが、それよりも、そんなに簡単に自分の質問や問題提起に対して、決まったひとつの回答が出されるのを、素直に受け入れられるのかというところにあります。
私はネット検索機能などはよく使いますが、これには少なくとも選択肢があります。先ずはその情報の出典がどこか、それで自分が読んで納得するかどうかも考える時間がありますよね。
瞬時に一つの回答が出れば、そりゃ効率よくて便利ですよ。しかし、その回答って、それに関する今までの数あまたなる情報の積み重ねの集約であって、そこからとてもユニークな答えや、飛躍しているけど「なるほど~」と思えるような回答は得られないんじゃないでしょうか。
数学や理科に関してはある程度いいかもしれませんが、特に「これについてひとつの正解があるわけではありません」というような世界では、どうなんでしょう。ケアの分野では、とにかくこの表現をよく使いますよね。「これにはひとつの正解があるわけじゃない」って。(逆にこの決まり文句で、「あ、そうなんだ」と聞いている人の思考が停止しないように注意はせねばなりませんが)
こどもや若い人にもですが、いろんなことを自分で考えて、とりあえず「自分はこう考える」という意見を持ってほしいと思います。「回答」は与えられるものではなくて、やっぱり考えたり、自分で選んだりするものじゃないかなあ。教育界の人がChatGPTを取り入れていくのは、「子どもの考える力を伸ばすこと」は担保されているはず、そこを信じてやみません。
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