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#165 「正義の味方」
私たちの子どものころのヒーローであり、正義の味方として圧倒的な存在感を放っていたのがウルトラマンでした。そして、子供たちは自分一人では「悪を倒せない」から、ウルトラマンにその思いを託していました。そしてウルトラマンが謎の怪獣を倒してシュワッチと宇宙に帰っていくときに、「ウルトラマン、ありがとう!」ととても晴れやかな気持ちになったものです。
時は流れ半世紀を経た今はどうでしょうか。確かに今もスーパーヒーローがいます。当時に比べたら、比べ物にならないほどたくさんのヒーローがいるはずです。そしてヒーローのかたちは千差万別になり、何が悪で何に対して戦うか、そしてその大義も様々になってきたように思います。
それから今は、昔の人々には到底できなかったことが容易にできるようになったことがたくさんあります。その最たるものがSNSの力です。個人は容易に自分の意見が言えるようになり、そして自分の考えで、簡単に正義の剣を振り下ろすことができるようになりました。そして、これが一番SNSのダークサイドだと思いますが、それが瞬く間に拡散して、そこに同調したり「悪用」したりする第三の力が乗っかっていくのです。最後のとどめがそれを「正義の報道」としてさらに増長させる一部のマスコミの偏向報道じゃないでしょうか。
決して自分の意見を言うこと自体が悪いのではなく、むしろ、それを個人の名前で公に発信したり、主張したりするのはとても大切なことであると思います。ただ、顔を隠して人を糾弾するのは、やはり正攻法ではないように思います。

そして人を批判する、または糾弾する人々の根拠になるものってなんでしょう。「正義」でしょうか。そもそも「正義」とはいったいなんでしょうか。
世界のあちこちで繰り広げられている紛争は、おそらく当事国にとっては「正義の戦い」なのでしょう。では、なぜ片方の国の正義ともう片方の国の正義は食い違うのでしょうか。正義と言っても絶対的なものじゃないからではないでしょうか。
問題はそのような「正義」の下に死んで行ったり、傷ついたり、悲しく苦しい思いをしている人々がどれくらいいるかということです。正義を振りかざす前に、そういうことを考え、まず相手のことを考えることはできないものでしょうか。
何が悪くて、何が良いということに絶対はないと思います。それを振りかざして人を批判するのは勝手ですが、それで相手が、そして自分もが幸福になるかどうかまで考えられたらと思います。
今、話題をさらっている某高校が、結局出場辞退にならざるを得なくなったことに関して、そんなことをいろいろ考えました。部員さんたちは何とか立ち直って、次を目指してほしいと心から願います。 (画像:サンスポ・ウェブサイトより)
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