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#164 「メモリアル家族」
うちの父母の「矢野ファミリー・ザ・核家族」は昔からメモリアルデーを欠かさず押さえる家族でした。父の考え方だったと思います。そしてその傾向は弟一家に見事に受け継がれているようです。メモリアル家族として。
私の「ご幼少のみぎり」のアルバムは、父がきれいに配置デザインを工夫して丁寧に写真を貼り、一つ一つ几帳面にコメントをつけて、大切に保管してくれています。今も家の中のどこかにあります。どこかに。
アルバムの中には、「けんたろう3歳おめでとう」とかの垂れ幕の前でテーブルにはバースデーケーキが載り、ご馳走が並び、家族全員でセルフタイマーで撮ったスナップが何枚もあります。「誕生日メモリアルセレモニー」です。カメラや8ミリ映画の愛好家でもあった多趣味な父は、セルフタイマーでカウントダウンしながら、手元でフラッシュのボタンを押し、その瞬間の写真をいつも撮っていました。そのフラッシュを押したときの「ボンッ!」という音と眩しい光は、今もイメージとして頭の中にしっかりと焼き付いています。相当眩しかったので、だいたい全員「眩しそうな」顔をしています。撮った写真は風呂場で自ら現像していました。あの風呂のドアを開けたときに広がる酸っぱいようなにおいも、五感の記憶の中にしっかりと眠っています。
私も結婚してから2~3回は妻の誕生日に大きな紙に「○○歳 誕生日おめでとう」と書いて、飾り付けて写真を撮っていたものです。今までの習慣が染みついていて。しかし、いつしかそれは水の泡のように消えていきました。でも、心の中での感謝と祝福の思いは消えなかったと思いますし、ちゃんと口に出して「誕生日おめでとう」と言い合いますし、気がつけば家族の誕生日は過ぎ去っていた・・・なんてことは間違ってもなかったように思います。多分。そして、弟家族にはセレモニーの習慣は立派に受け継がれているようですし、その子供から孫へと(その中のだれかには)引き継がれていくでしょう。

兄である私たち家族が儀式(セレモニー)をまったくないがしろにしているかと言えば、それはそんなことはありません。日本の文化をかたどる季節季節のイベント、例えばお正月、節分、お花見、そしてだいぶ飛んで大晦日といった節目には、小さな儀式をささやかに行っています。それは、やはり日本人としてのアイデンティティーを心の奥底に保ちたいという思いがあるからだと思っています。あ、日本文化ではありませんが、世界共通の文化としてクリスマスも小さく祝っていますよ。
昨日は広島の被爆から80年のメモリアルデーでした。式典の中でのスピーチは、市長、子供たち、県知事とすべて心を打つもの、とても納得できるものでした。子供たちの平和宣言は、その子供たちやスピーチが選ばれる過程の裏話を広島在住の友人から聞きましたが、いくつものハードルを越えて選ばれ、作られていくものでした。そして、式典の中で何よりも話題を呼んだのが、首相のあいさつの中での引用「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」という被爆歌人、正田篠枝さんの歌でした。これが人々の感情に訴えたのは言うまでもありません。願わくは哀悼の気持ちに加えて、人々の間に、そこから本当に戦争に反対し、核兵器廃絶を訴える声と行動が強く生まれてくることを祈りつつ。
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