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#131 「めんどくさい」
最近の父を見ていると少しわかってきたことがあります。それは、私が思うほど「認知機能」が落ちてきてはおらず、ただ、あれもこれもできないと見えている原因が、このマジックワード「めんどくさい」に集約されているのではないかということです。
もちろん、こんなことがわからなくなったとビックリすることもあります。日にちや曜日感覚、適切に物事を仕分けする能力(例えばこのゴミは何ゴミなのか、これ料理は何で味付けをするのか、この日用品は普段どこにしまわれているのかと言ったこと)これらは以前に比べると能力的に確実に落ちてきています。しかし、父は92歳ですぞ。こんなことは普通に老化したらたどる道ではないでしょうか。
問題は、この「めんどくさい」があるがゆえに、わかるのに考えない、できるのにやろうとしないようなことが発生するということです。そして、この「めんどくさい」については本人が怠慢であると考えるのは酷で、やはり老化現象の(大きな)ひとつとして考えなければいけないのでは・・・と冷静なほうの自分は考えるのです。

しかし、感情的なほうの自分はそうは考えない。「どうしてちゃんと考えないんだろう」「なんでやらないんだろう」と言う気持ちが先に立つのです。だから親子関係は厄介です。どうしてもそこに感情が入るから。
自分の親を見ていると、他の高齢者を見るのとは確実に違う感情がある反面、「最終的には放っておけない」という気持ちもあります。しかし、この気持ちも決して世の中で普遍的なものではなく、ある意味、あの親子、この親子、それぞれ個別の関係性があるに違いありません。
自分の父ですから、自分がこれからたどるであろう高齢者としての暮らしもうっすらと予想はできます。「めんどくさい」という気持ちにいつも支配されるようになったら自分はどのように対応しているのでしょう。よく考えるところです。
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