#209 「はたしてシンガポールは変わったのか③(最終回)」

 今回の旅行から帰国してまず感じることは、シンガポールの人々と6日間フルに交流して、それが実に18年ぶりだったという事実をまったく感じない、とても(本当に日本で普通に生活しているかのように)ごくごく自然な交流ができた日々だったということだ。

 こう感じたのは、私たちが21年前まで実際に彼の地で16年間生活していたからという理由よりも、人間は結局どこに行っても同じ笑いのツボで笑い、同じようなことに好奇心を抱き、同じ理不尽な戦争に怒り、同じ生活の厳しさを嘆くというとても共通した感覚を持っているということを改めて感じたからだと思う。若干の国民気質とか周りの環境とか経済的な事情とか地政学的な立場の違いとかはあっても、根っこのところはまったく変わりがない地球人だからということだろう。しかももう少し絞って同じアジア人なので、さらに「同じ兄弟」の感覚は膨れ上がっていく。言語の違いなどは本当に取るに足らない要素なのだ。

 そんなことを考えていると、あの1965年にひとりの偉大なる指導者によって独立を果たし、いろいろな意味で世界の模範となる小さくて大きな都市国家が、いくらそのソフトやハードの技術を発展させて開発を続けていこうと、その根っこにある中身は全然変わっていなかったと感じたのもうなずける。

さて、今回の訪問での再会を感謝とともに個別に振り返っていくことにする。

 エスターさんは、滞在中もっともケアしてくれた人だ。とてもよく気がつき、一つひとつの行程に関する細かい気遣いやおもてなしの心は際立っていた。最初に「シンガポール・ツーリストパス(公共交通機関乗り放題パス)」を手配してくれたのが始まりで、その後、どこに行くのにもMRTや路線バスを利用して快適な旅をすることができた。ご実家も訪問させていただき、本当に典型的な家庭の食卓でもてなしを受けた。感謝!

 駐在員時代の秘書だったドロシーは真夜中にも拘らず空港に出迎えに来てくれたり、その後の行程についても逐一気にしてくれたりした。シンガポールを立つ日はまさに一家総出演で歓待してくれ、また弟のアンディー君の誕生日をわざわざ前倒しで一緒に祝うという、会社時代から続くドロシーの「人を喜ばせるためのマネージメント術」はずっと健在だった。感謝!

 火曜日のクラス、土曜日のクラスの愉快な仲間たち(ともに私たちのクラスの中ではnoisiest最もやかましいクラス)は変わらずとてもよく喋り、ジョークを飛ばして笑いあう矢野日本語学校の中でも際立った生徒たちであることは変わらなかった。普段からそれほどお互いに会ってなくても、ともに「すぐに全員と連絡できるハブ」的存在のキーマンがいて、号令とともに瞬時に仲間が再結成されるというまさにチームワークのなせる業であった。皆さんの笑顔とおもてなしに感謝。

 ヤンリンさん、ヤンフェンさんの姉妹はいつもキュートで、姉のヤンリンさんのご主人ダニエルさんや2人の小学生の子供たちも含めて、典型的なシンガポール人の中の上くらいの生活レベルの、仲のよい家庭を見せていただいた感じだった。素敵なファミリーディナーにお招きいただき感謝。

 アドバンスレベルのにわか結成の「焼き鳥グループ」の仲間や日本通のレイチェルさんは、それぞれすべて日本語での会話が可能で、一度やめた勉強を再び始めたり、長い間もう働いていなかったり、とてもユニークな人生を見つけてそれぞれ謳歌されている風だった。あんなに遅い時間に集まってくれたり、アポの谷間に滑り込んで目いっぱい案内してくれたりで感謝。

 これにて一件落着と行きたいが、おそらく忘れたころに「番外編、シンガポールの食事情」を書くはずだ、このブロガーさんは。

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