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#200 「正義と報い」
今書き始めて、初めて気づいたことだが、このブログで200本目だ。お祝いの回にしてこのタイトルはあまり気持ちの良いものではないが、今朝、再び中東で戦闘が開始されたというこの時にやはりどうしても書いておきたいことがあった。
それは、戦争というこの世でもっとも醜いものが当たり前のように権力者によって再開され、そしてすでに多くの民間人と子供の犠牲者が出たという事実。そして、この戦争を再び始めた理由は、大国の一権力者の正義によるものであり、そしてそれに追随して、戦争を日常茶飯事のように思っている某国の権力者が自分の立場を貫くための正義だったということだ。しかし、それらの正義は、相対する正義というさらなる報復を生み、負の連鎖がまた繰り返され、多くの罪のない不条理な犠牲が多数出る。
そんな他国の戦争がもう日常茶飯事になりすぎて、日本を含む多くの人々は無関心になり、戦火の行方を気にしながらも週末のレジャーや晩御飯のおかずを考えたり、仕事のアポをとったり、クラブの練習に出かけたりする。他国で戦争しているからと、それに反対する扇動を起こすとか、日常生活を自粛するなどということまではできないにしても、少なくともこの戦争は本当に始められなければならなかったのか、その理由を深く考え、戦争犠牲者のことを悼み、どのようにしたら恒久平和は叶うのかについて考えるようなことは必要ではないだろうか。

人それぞれに正義があって、それを貫くということは、それ自体を非難するものではない。しかし、私の正義とあなたの正義、あの人の正義とこの人の正義、それぞれの正義は決して同じものではない。10人いれば、10通りの正義があると言っても過言ではない。ひとつの正義を盾にすれば、別の正義がそれに歯向かう。そしてそれが超大国によって、そしてその大国を自由に操る権力者によって強行される正義であれば、それに対して多くのものは口を開くことはできなくなる。それは、ときに弱者に対する恫喝にも映る。
そのような無力にならざるを得ない周りの多くの人々の心を無視し、欺き、不幸にするような正義であれば、その正義は必ずなにか別の大きな正義による報いを得ることになろう。いや、人間同士が戦わせる正義ではない、もっと大きな不変の正義による報いだ。それは論理や理屈によって語れるものではないが、少なくとも不条理に命を奪われた人々の、そして家族を奪われたたくさんの人々の魂のみが涙とともに語ることのできる正義だと思う。

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