#196 「音楽と感情がむすびつくとき」

 たまたま前回の「感情」に関することの続きのようになったが、感情が「独立して」脳の中に残っていて、そして音楽と結びついているということの具体的な体験について書いてみたい。

 皆さんは、音楽を聴いたときに昔の記憶がよみがえってなんともノスタルジックな気持ちになることはあるだろうか。逆に、あるエピソードが偶然想起されたとき、何かの音楽が自然についてわいてくるということがあるだろうか。

 私はそんな体験がときどきある。具体的には、西城秀樹のある曲は、高校1年生のとき、部活で苦しんでいた場面とペアになっている。岩崎宏美のある曲は、両親の実家に一緒に里帰りするときの連絡船の甲板上の風景と重なっている。曲名は忘れたが、「お母さんといっしょ」のような子供番組のある曲は、小学校低学年の時に嫌な水泳教室に通っていたときの一場面とタグしている。そのようなペアリング体験は時が流れても随所、随所で起こり現在に至っている。

 音楽は記憶力が衰退していっても、脳の中にエピソード記憶とは分離して独立して残っていくものだと思う。そして、その音楽に歌詞がつく場合は、しばしば「歌詞も音楽とセットになって」残っていることが多い。認知症の人が、昔の歌をまわりで歌い始めたときに綺麗に一緒に歌う、あるいはときに単独で続けて歌うことができるのも「歌詞がセット」で前頭葉の中に深く刻み込まれて動かない所以かと思われる。私も小学校の校歌や中学高校の校歌は1番、2番と全部歌える。歌詞は意味ではなく、音楽の一部として記憶の中に入っているようだ。そして、小学校の校歌をそらんじるときは必ずあの住宅街の高台にあった小学校の校庭がセットになって脳裏に現れる。

Headphones on Laptop Computer. Online Music Listening. Music Concept.

 そう考えると音楽(時に歌詞とセットになって)は感情と同じようにエピソードとは別ルートで脳の中に刻まれていくものではないかと思われる。そして、その感情と音楽が(偶然か必然かはわからないが)ある程度強い結びつきをすることが起こったら、それらがセットで想起されることが起こるのではないかと思う。

 音楽は聴覚を刺激するものである。同じように嗅覚を刺激するものが残っているということもある。典型的なのが「潮風」の臭いだ。それは海沿いの地域に住んでいた子供のころの思い出とセットになって、とてもノスタルジックな愛おしい感情が湧き起る。そういう意味では五感は感情と同じように残っていくものかもしれない。

 私は味覚や触覚に関してはそれほど残っていると感じないが、視覚はどうだろう。視覚こそ脳の中に深く刻み込まれていそうな気がするのだが、実はそうでもないことに気づく。特段、思い出せないのだ。多分、どの五感が一番記憶や思い出と直結するかは個人差が大きいのだろうと思う。でもたまに不思議な体験をする。ある特定の風景を見たとき、とても懐かしい涙が出るほど愛しい気持ちになることがあるのだ。特に田舎ののどかな風景に多い。かといってそれが生まれてから今まで出会ったものでもなさそうだ。これがデジャヴ体験、そして前世での記憶ということだろうか。

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