#195 「感情」

 認知症のことを勉強するようになってから、人の感情がいかに大切かを学んできた。認知症では多くの場合で海馬が委縮して短期記憶の定着と想起に問題が出てくるために、一つ一つのエピソードを覚えているのが困難になってくる。昔からの記憶はすでに定着していて前頭葉に大事に保管されているから、ふっとした瞬間に思い出して懐かしむことができる。ある意味、こんなこと言えば怒られるかもしれないが、人間の脳って合理的にできていると思う。で、誰に怒られるのかな。

 さて、厄介な(厄介?)のが「感情」だ。感情はエピソード記憶と違って、海馬ではなく偏桃体に記憶される。まだまだ勉強不足だが、記憶と別ルートで感情は偏桃体にたまるので、記憶に障害が出始めた認知症の人では「なんだか理由がわからないけど、この人の顔を見ると腹が立つ」ということが起きてくる。逆に「この人は何か知らないけど安心する」ということも起こる。嘘やごまかしがきかないのだ。

 さて今日は認知症のしくみではなくて、人間のつながりは感情を大切にすることが何より大事だということを言いたいのだ。なぜなら感情は最後まで残り、こじれるとなかなか元に戻せないからだ。人々がそれぞれ論理的な主張ばかりしていては、平行線をたどり、それがいつまでたっても相いれないことがよくある。つまり、人の主張には往々にして「正解」というものがない、あるいはどちらも「正解」ということが多いからだ。では、そんなときにどこを落としどころにするかというと、それは「感情」だ。これに気づき始めたのは実はそんなに昔ではなく、わりと最近のことだ。つまり、いくら自分が完璧な理論武装をして、完璧に人を言い伏せたと(思った)としても、振り返れば、自分自身でもあまりいい感情が残っていないことに気づくことがある。相手にしてみればそれ以上の負の感情が残っているだろう。

 なぜなのか。なぜ論理的に勝ったのに「もやもやする」のか。相手はさらに気分が害されるのか。それはやはり最後は感情のほうが理論よりも大切だということの証ではないだろうか。

 自分であれ相手であれ負の感情に支配されてもわれ関せず理論を突き通す人が国を支配するようになったときは厄介だ。往々にして長引く戦争の中ではそのような人間対人間が対峙している構図になっているような気がする。そのような支配者が、罪もない住民、子供たちが戦火に長らくさらされてどれだけ大変な状況であるか、相手の人々の感情を少しでも理解することができれば、戦争の終わりは近づくのにと思う。

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