#192 「定型文」

 定型文というのは、日本語にも英語にもある。おそらく世界中のいろいろな国の言葉にもあるのだろうが、それは調べていないので断定できない。

 今は「ふみをしたためる」なんてことはあまりなくなったが、手紙を書く場合の「貴社、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます」とか「季節の変わり目、どうぞご自愛ください」とか奥ゆかしい表現はまだまだ残っている。「拝啓」で始まり「敬具」で終わる、「前略」で始まり「草々」で終わる(でも「草々」なんて使っているのあまり見ない)など一定のルールも手紙の定型文であると言える。まあEメールやLINEで事が済むようなこの時代にはあまり必要もなくなったのかもしれない。

 一方で話し言葉の世界でも、テレビや公の報道の中では「定型文」がある。あるいは、それらを定型文と呼ぶのは少し違うかもしれないが、「決まり文句」というか「常套句」とか言う言葉で表されることが多いだろう。

 そしてそれらがあまりに多用されていて、まるで「水戸黄門の印籠」のように出されると、有無を言わせず「はい、終了!」と感じるようになってしまうことに違和感を覚える。あまり抽象的にばかり言ってもわかりにくいので具体的に言うと:

 よく訴訟を起こされた相手が言う言葉「訴状が届いていないのでコメントは差し控えます」というもの。訴状は届かないとコメントはできないのかな。まああまり詳しく言ったらその後の裁判に差支えがあるのかもしれないが、ほとんどが同じ言い回しが使われ、聞いている方は「尻切れトンボ」になった感は否めない。

 二つ目に「個別の案件にはお答えしかねます」という、ほとんどは各界のトップが定型のように言うもの。そうであるかもしれないが、もし個別の案件に丁寧に答えていくトップがいれば、世間の評価は急上昇するのにと少し残念に思う。

 三つ目に、これは文ではなく単語だが、今までのブログでもよく言ってきた「安心安全」という印籠だ。でもこれは決して決めゼリフ(印籠)ではなく、この大切な言葉(理念)を実現するのは相当なプランと覚悟と実践が必要だと思う。それがないうちに「子供たちの安心安全のために」と言うべきではないと思うし、もし言ったら「どんなふうに」を付け加えてほしいと思う。

 いやいや、これらはボヤキではありません。やはり言葉はジグソーパズルのピースのように、そこにはめ込めばいいというものではないということを言いたいのです。      (写真は岡山県あわくらんど(道の駅)の装飾)

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