#180 「オムニバス映画~ヤノケン栄華の夢噺~」

 さあまた夢の話です。最近は朝起きたときには夢の内容を覚えていないことが多く、短期記憶が衰えてくると夢の内容も覚えていられないという嘆きを題材にしようかと思っていた矢先のこと、ここ4日間は連続ではっきりと内容を覚えている夢を見ることができ幸せな思いをしています。いやむしろ幸せじゃない夢が多いかも。

 その内容と言えば、以前からそうであるように、四文字熟語で奇想天外とか、はたまた荒唐無稽とかいうものであり、どこからこういう発想が生まれるのか非常に不思議です。少なからず普通に生活していたら絶対に思いつかない発想であり、やはり「脳の起こすことは神秘である」ということを実感しています。

 今日はそのうち三つを紹介したいと思います。オムニバス映画のように。

 【第一話】 どこかの大きなお屋敷である。屋上にはシンガポールでは各家庭に必ずついているダスターシュートがある。私は迷うことなくそのダスターシュートの蓋を開けて、中に身を投じた。そのまま屋敷の中庭に転がり出た私の前に現れたのは亡き母だった。あまりの懐かしさに「おかあさん!」と抱きつこうとした私に母は「私はあなたのお母さんじゃないのよ」と言い放つ。そして横から現れた見も知らぬご婦人が「私があなたのお母さんなのよ」と宣う。私は抱きついていいものかそうではないのか途方にくれる。

 【第二話】どこかの大食堂である。社員食堂のような感じで、私はそこに属している社員のようだ。とにかく大きな食堂である。多国籍の社員が思い思いのスタイルで食事をしている。私はキッチンの窓口から「ナシ・ブリヤーニ」を二皿とって(なぜ二皿だったのだろう)自分の席に運んだ。するとほんの少し目を離している隙に、二皿ともなくなっていて、一皿は確実に近くのインド人がパクついている。激怒した私はそやつに暴言を浴びせかけている。

 【第三話】何かの行事の流れの後で36期の同期生たちがぞろぞろと広いホテルの部屋に帰ってくる。私も少し遅れて入り、荷物の整理をしている。その部屋はホテルの一階の部屋のようで、そのうち公務員風のインドネシア人たちがたくさん部屋のすぐ外に集まって来て、じろじろと部屋の中を覗きながら何かひそひそ話をしている。他の同期はわれ関せずな中、イラっと来た私はその公務員たちに暴言を浴びせる。すると暫くしてから、上席風の女性が部屋の中までやってきて私を座らせ、一枚の紙を見せる。そこには明らかに「Death Sentence」という一語が書かれていた。

 夢の中でのストーリーには新しい映画を見るような面白さがあります。つまり「普段の自分では」思いもつかない新しい世界です。自分の夢から新たな人生観や視点が生まれたりするのは、夢はもともと自分が由来であるはずなのに、まるで別のものが自分に語りかけているようにも感じます。だから夢はやめられません。短期記憶ができるだけ長く保たれて、いつまでも夢を楽しめるよう願ってやみません。

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