#175 「ゆ・と・り」

 最近、とみに「ゆとり」のない生活を送るようになったと思っています。いや、最近ではないですね、少なくとも。4つ前のブログ#171「ぼおっと過ごす時間」でも書いた内容とも重なりますが、余裕のない生活を送り始めてからもう40年近く経つと思われます。

 それはひとえに私の性格によるものが大きく、自分で自分の首を絞めることもあり、心を病んだ時期もありました。今、うちの家族が「あ、スズメが来ている。カラスが飛んでいる」とのんびりとおしゃべりしていますが、私はその会話にも入らず、パソコンの前でカタカタと久しぶりのブログを打っています。そんな感じです。

 どうして時間を上手く使わないとそんなに気持ちが収まらないのかなと悲しくなります。それこそブログでも書いたように、「何もしない時間」があると、何をしたらよいかとさがしてしまいます。エレベーターに乗ってボタンを押したらすぐにスマホに手が伸びること、それを毎回やっていることに最近自分で気づきました。要するに自分の階に到着するまでのたかだか1分くらいの時間に「なにもやることがない」からです。

 だから、私は決めました。あえて、生活のペースを少しだけ落としてみます。いきなり「ローギア」に入れるわけではありません。80キロで走っていたところを60キロに落としてみるのです。少しだけ減速してみるのです。そして生活に「ゆとり」を見出すのです。先日、とある年間シリーズ研修を中退しました。今期はお陰様で仕事が増えたし、また第二の居場所を始めようとしている中、その隙間に埋め込むようにシリーズ研修をほうほうの体でこなしていましたが、もう無理はせず潔くやめました。ただでさえ、この夏は体調を落としてあまり無理がきかなくなったのもあります。

 残り少ない人生だから何でもかんでもやらないと時間が足りないという考え方もあります。しかし、ゆとりをもって計画したことをこなすと、ゆとりがない計画よりずっと質が上がるような気がしてきました。やることはやる、諦めることは諦めるという潔さも必要かなと思う今日この頃です。

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