#144 「おつまみ」

 夫婦間の会話のあるある話しで、夫が晩酌をしながら「おーい、何かおつまみはないのか」というと「自分の鼻でもつまんでなさい!」と返すというのがあります。え、聞いたことありません?まあ今の時代は夫婦関係の変化もありますし、こういう会話も昭和の風物詩として色あせて消えていくものかもしれません。

 そもそもどうして今日はこのテーマかというと、朝食後にパソコンの前に座ってゆっくりメールなどを見ながら残りのコーヒーを飲んで、それのアテに軽いお菓子を食べるというのが習慣があるのですが、今朝にかぎって何もつまむお菓子がなく、非常に心もとない思いをしているということが発端になりました。ちなみに、この「アテ」というのと「おつまみ」は基本的には同じことを指しますが、アテは主に関西で使われるようです。

 しかし、上の文章で、コーヒーだからアテ、ここでおつまみを使って「コーヒーのおつまみ」とはあまり言いませんよね。同様に「お茶のおつまみ」とも言いません。ところが、この言い方に関して郷愁をもって、とても懐かしく思い出されるエピソードがあるのです。

 以前、介護現場で働いていたころ、あるおばあちゃんがいつも「お茶ちょうだい、お茶ちょうだい」と歩き回っておられました。言われる都度お茶を出すこともできず、いろんな会話をして対応していましたが、その中で実際にお茶を出したときは、とても幸せそうな顔をして、決まって「おつまみは?」と言われるのでした。「お茶におつまみ」という言い方が可笑しくて、その都度(不謹慎にも)笑ってしまっていたのですが、きっとこの方にとっては長年の習慣だったのかなと思った次第です。すごく幸せな時間。まさにホッといっぷく、気持ちアゲアゲの時間だったのかもしれません。

 私の場合を考えても、やはりこのおばあちゃんの言われたような「おつまみ」は自分の習慣の中で欠かせないものになっています。だから気持ちはよくわかるのです。例えば、夕食時にはだいたい少々お酒を嗜むのですが、最後お酒が少し余った時は、「そのお酒を飲むために追加のおかずを探し回ったり」します。同じように朝食時のコーヒーですが、淹れすぎたコーヒーを食後に飲むのに、先ほどのようにお菓子をいただきます。先ずお酒だけで飲んだり、コーヒーだけで飲んだりはしません。まあどちらも、それほど通ではないからということでしょうか。コーヒーは好きですけど、コーヒー通ではないということでしょうか。

 いやいや、その人の飲み方にはその人なりのポリシーや歴史や哲学があるはずです。(なんだかオーバーですけど)そして、そのような飲み方で、自分がお酒が好き、コーヒーが好き、と言い切れれば「通」の仲間入りをしてもいいものと確信します。「お酒におつまみ」「コーヒーにおつまみ」でいいじゃないですか。そのセットで一丁前の「通」だと誇りをもって言いたいです。将来私の認知症ケアをしてくださる方、忘れずメモしておいてくださいね。

(写真:これなら完璧ですね!ネット画像より)

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