#143 「本の中の内なる声」

 今まで考えたこともなかったのですが、読書中にふと気が付いたのが、本の内容を読み上げる声が頭の中で聞こえてくることでした。今更それを不思議に思うこと自体が不思議なのかもしれませんが、どうしてテキストを目で追っているだけなのに、声が聞こえてくるのだろうという単純な疑問でした。

 お決まりの方法として、いくつかのネットのサイトを調べてみました。その内容を総合すると、①内なる声が聞こえる人と聞こえない人がいる ②聞こえる人が多数派で80%くらいいるというデータがある ③自分の認知能力の違いによっても聞こえるか聞こえないかの違いが出る ④内なる声は人の思考や感情を言葉に変換する道具としても機能していて、人間関係をよくするための言葉選びに貢献する(つまりは良い効果を得られる)のようなことでした。嬉しい反面、少しがっかりもしました。

 なぜ少しがっかりしたのか。それは、あくまで「少数派」であることにプライドを持つ天の邪鬼な人間ですので、80%もいる多数派だったというのに「なーんだ」と少しがっかりしたのです。しかしコミュニケーションをよくするためのツールであるというのは朗報でした。

 聞こえてくる内なる声が「誰のものか」は人それぞれのようですが、私の場合、それらは「自分の声」ではないのは確かです。読んでいるものの種類によっても違いますが、論文やエッセイのようなものは「誰か知らないアナウンサーのような男性の声」、会話が出てくるような小説は、映画やドラマのように、それぞれが忠実に配役を担っているような役者のような声が聞こえてきます。かなりそれぞれの感情や思いが反映されており「名作劇場」のようです。ドヤ、珍しいですか!みなさんはどうでっしゃろ?

 それが珍しいかどうかはさておき、どうして自分の声でないのかはかなり不思議です。私は今まで何度か書いてきたように、「視覚情報」より「聴覚情報」のほうが脳に入り込みやすい性質です。ですので、書籍の内容は「紙に書かれた二次元のテキスト=視覚情報」ではなく、「ラジオの放送やラジオドラマのような音声=聴覚情報」として自分が理解しやすいように自然に選択して脳内に落とし込まれているのかもしれません。

 しかし、学者やその筋の専門家など、多くの情報を早く仕入れないといけない方々は、職業柄、声に変換せずテキスト情報だけで脳内で処理していることが多いようです。「速読」は昔流行りましたが、本の視覚情報を素早く「絵や図面」のように脳に焼き付けて理解していく、すご技ですよね。本当に文庫本位だと、1秒ごとくらいにページをめくっている印象があるので、とても「本を読んでいるようには見えない」です。

 私にはとてもできない芸当です。そして、まだましな「聴覚情報」のほうでもそれを反芻して脳内に落とし込むまでには時間を要しますので、典型的な「スローリーダー」です。録画したテレビ報道番組を巻き戻して何度も聞いて理解しているようなものです。つまり本の同じ頁を繰り返し読むこともよくある話です。

 まあいいでしょう。別に構いません。人それぞれの読書スタイルがあるのですから。でもフルタイムで激務をこなしていたころ、休日に窓を開け放って、日がな一日ロッキングチェアーに座って本を読んでいたあの頃のように優雅な読書を最近はしなくなりました。そよ風に吹かれながらのリラックスタイム、至福の時間でした。読んでいたものと言えば、仕事には全く関係ないような文学や小説やエッセイなど。そこも、どちらかと言えば専門書ばかり読む昨今との違いです。そのころの読書タイムを心から懐かしく思い出します。

(写真:文を書く時も声は聞こえますよ。ひょっとしたらタコ星人の声かもしれない)

 

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