受付時間 9:00~18:00
#138 「理系頭、文系頭」
たまに、私のブログを「いつも読んでいますよ」と言ってくださる方とお会いすることがあります。とても嬉しいです。このホームページのしくみで「何人の方が読まれてどう評価されているのか」を表示するのが難しいらしいので、あくまでその対象の方を想像しながら、精一杯書いていきたいと思っています。
さて、「私は文系頭です」とか、「あなたは理系頭だから・・・」というのを、よく聞くことがあります。「よく」でもないか。でも、こういう言い方はすると思います。で、私は、と考えてみると「理系寄りの文系頭」あるいは「文系寄りの理系頭」、つまりはどっちつかずだと思っています。ただ、うちの家族を見るとかなり典型的に収まるような気がします。父と弟は間違いなく「理系頭」、妻は「文系頭」でしょう。亡き母はというと、これが少し難しいのですが、理系でないことは確実なので、まあ「文系頭」に収めましょう。
血液型で言うと父は典型的なA型、母は典型的なB型、そしてその長男である私は典型的なAB型で、うまく父と母の血が混ざっていると思います。なので、~頭についてもそうなのかもしれません。ちなみに弟はA型、父の理系頭を受け継いでいます。血液型と~頭の関係は、まだ論文が書けるほどに研究(私個人の研究)は進んいませんが。
学生のころの私の得意だった科目、苦手だった科目を暴露しますと、得意だったのは英語、数学、古典、地理、図工(美術)でした。逆に苦手だったのは現国、物理・化学、歴史などで、これだけ見ても「一体どちら側やねん」というのがわかると思います。不思議なことに数学と古典の成績はつねに学年のトップ争いをしていましたが、逆に物理なんかは見るも無残な成績でした。どうして数学が得意で物理が苦手なのか、地理が得意で歴史が苦手なのか、これを論理的に説明する言葉を私は持ち合わせません。

現国(現代国語)については、なぜ古典は得意なのに・・・という理由を分析してくれた教師がいらして、とてもありがたかったです。その先生自身が古典の教師だったのです。そういう一人一人に寄り添って指導してくれる先生は、いまの教育制度の中でも本当に貴重な存在だと思います。つまりその意識はあっても、忙しすぎてそこまで手が回らないというのが現状でしょう。私の学生時代は幸いに本当にいい教師に恵まれていたと思っています。
さて、その分析結果は、私は特に「長文読解」に難があるということでした。これは、「目からの情報がうまく記憶に結びつかない」という、自分でも認識している性質にしっかりつながります。空間認識も悪いし、視覚情報がうまく伝わっていないということです。確かに、人からのメールにしても何かの連絡の手紙にしても、1~2行の読み飛ばしがよくあります。それがとても大事なことであとで困った事態になったこともあります。
しかし、それでは聴覚情報はしっかり取り込めるかというとそうでもないようです。確かに聴覚情報は記憶に残りやすい(二、三度聞いた曲を再現できる、昔の歌を丸ごと覚えている、人の物まねができるなど)ようですが、それとしっかり記憶に根付かせるということとは別問題のようです。つまり「注意力」が散漫、別の言い方では「うわの空」のことがあるというこれは器質的な問題というよりも、性格的な問題でしょう。
話を元に戻しますと、私は両親の両方の血を貰ったAB型で良かったと思っていますし、「理系寄りの文系頭」か「文系寄りの理系頭」かははっきりしませんが、両方の頭を貰ってよかったと思っています。なにより、「餃子定食に今日は特別にミニチャーハンがつきます」というような得した気分になりますから。
(写真:得意という訳ではないけど、ゴソゴソと物を作るのは好きです。これは工作頭というものでしょうか)
コメント