#117 「目」

最近、本当に短い間に連続して、良く知っている3人の人が緑内障を患い、不自由な思いをしているという事実を知りました。以前から目の病気として、白内障と緑内障は知っていて、白内障は手術でよくなるが、緑内障は治るものではなく、悪くすると失明に至るということは知識として知っていました。しかし稀な病気だと思い込んでいましたので、立て続けに身近な人が緑内障だと分かったことはかなりの驚きでした。

 眼鏡を変えたり新たに作ったりする都度、視力検査だけはやっていましたが、本格的な目の検査はやった記憶がありません。身近な人が緑内障だったというのが続いたこともあり、ここらでやっておいた方がいいかと思い、近隣の眼科クリニックに行きました。そこで告げられたのが、右目は緑内障の初期、左目も緑内障の予備軍のようなものという事実でした。

 ショックでした。目はつねに自分の「弁慶の泣き所」だったということを忘れていました。まずは小学校低学年のときに視力低下し、「テレビを見る時間を減らしなさい」と言われたのが始まりでした。半泣きで「タイガーマスクだけは見てもいいですか」と眼科医に訴えたことを今でも覚えています。視力低下の原因は容易に予想がつきました。漫画の読みすぎ、テレビアニメの見過ぎです。読んでいた漫画を挙げれば「巨人の星」「タイガーマスク」「鉄腕アトム」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「パーマン」「サイボーグ009」と枚挙にいとまがありません。

 子供のころからだんだん強くなった近視のため眼鏡やコンタクトレンズが欠かせなかったのに加えて、30代で初めて経験したのが「網膜裂孔」です。よく聞く「網膜剥離」の手前の段階で、近視が強いために眼孔が長くなり、右目の網膜がはがれかけて穴が開いた状態になったので、緊急レーザー手術で網膜を焼き付けました。その時の焼き跡は丸い地球儀のように目の中で行ったり来たりしています。その後、50代で左目も同じようになりました。

 もちろん、中年になると、新聞やパソコン画面も見えにくくなり、眼鏡は遠近両用となりました。老眼はどんどん進んでいる気がします。

 さて、そんな弁慶の緑内障の治療が始まりました。とにかく点眼薬を一日に一度、欠かさず両目にさすこと。そして月に一回の定期受診と検査です。眼圧を図る、視神経のCTを撮る、視野検査をすることが中心となります。その結果によっては点眼薬が増えたり、場合によっては内服薬が出ることもあります。

 私の弁慶の泣き所である目との付き合いはこれからも一生続いていくのでしょう。眼科医が「10年20年後も見えるために」と言ってくれたのは心強い言葉でしたが、普段、何気なく視覚障害があり白杖をついている人を見ていたのが、我がことになるかもしれないのです。そうすると、まったく見えなくなるのと、少しでも見えるのでは、特に「生活」ということでは全然違う気がします。お金の出し入れ、どのカードを使うか、どのボタンを押すか、テレビにしても「解説放送」を見るにはリモコンのどこを押せばいいか、オーディオブックを読む(聞く)ためにも一定の操作は必要です。  

 それよりも何よりも「人を支援している」と思い込んでいた自分が、「支援される」という立場になるその事実の受け入れも自分でどのようにかみ砕いていくのか、なかなか想像することができません。

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