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#112 「亀の甲より年の功」
あまり使ったことのない言い回しですが、最近よく考えていることを表すにはもってこいなので、急遽このタイトルにしました。むかしの方は、よくこのようにちょっと駄洒落的な要素を入れて、味わい深い言い回しを作ってきたんですね。
何を言わんとしたかったかといいますと、人は年を重ねた分、それだけで、自分の何かに厚みと深みを加えているということです。いやあ、生きてるだけで丸儲けとか言いますが、それだけじゃなくて、厚みが加わるということです。厚みというか、深みというか、魅力というか、味というか。
あまりに話が抽象的ですが、なかなか具体的に言えないので、もうイメージでつかんでいただくしかありません。たとえば、すごく若くて優秀で何度もコンクールで賞を取っているようなピアニストがいたとします。もう一人は、長年、音楽教室でたくさんの生徒を育ててきたような老練のピアノ教師。これらをそれぞれの演奏だけを録音して、AIに比較させれば、間違いなく若い優秀なピアニストの演奏の方が優れていると言うでしょう。
最近、私が思うのは、そういう若い優秀なピアニストのピアノの演奏能力、天才と言われる子供の計算能力、あるときからバズった若いインフルエンサーの発信力、処女作がとても秀逸で爆発的に売れた、若い駆け出しの作家の文章力、それらはそれらなりに人をうならせますが、やはり何かが足りないと思ってしますのです。いえいえ、決してその知識や技術を過小評価したり、皮肉ったり、やっかんだりしているわけではありません。
何かが足りないと思ってしまうのは、それからさらに技術を磨き上げるべきとか知識を増やすべきとかいう話ではなく、ただその人が年をとる、その「年の功」そのものが足りないと思ってしまうことかなと思います。不思議なもので、人は年をとるただそれだけで厚みや深みが加わるような気がします。それは、その人が取り組んできたことや、作ってきたものや、考えてきた価値観に表れますし、たとえそんなものが何もなくても、生きているだけの厚みや深みが加わります。

90歳を過ぎてもときどきケースからハーモニカを出して吹いては楽しんでいる人、くりかえしくりかえし過去の手がら話をしている人、特に目的はないけど毎日近所の商店街をぶらぶら歩かなければ気のすまない人、そのような人々の何気ない日常の姿の中にも、それぞれの「年の功」が積み重なっていて、とても厚く、深く、味のあるものになっているのだと思います。とても尊重されるべきものです。
そんな風に考えてくると、認知症の高齢者に、若い職員がため口で「危ないから立たないで!」とか「さっき食べたでしょ」などと言うのは、そもそもおかしいことだと思いませんか。
(写真は新潟県立自然博物館サイト 「科学館日記」より)木の年輪 – 『科学館日記』
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