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#102 「認知症ケアという学問」
認知症ケアが果たして学問なのか、それは議論の余地のあるところだと思います。そもそも、認知症ケアは介護と同じで、およそ学問というイメージからは程遠いような気がします。だいたい学問と呼ばれているものには、大学や大学院ではその学部があるはずですが、認知症ケア学部(あるいは認知症ケア学科)があるとうのは今まで聞いたことがありません。(もしあったら、コメント欄で教えてください!)一方で、この国には「日本認知症ケア学会」という学会があります。これは、認知症ケアが立派な学問である証拠と言えませんか。
ただ今日のテーマは「認知症ケアが学問なのかどうかを考察する」ということではありません。今日は「認知症ケアが学問である」と言い切るところ(仮定)からスタートしようと思っています。
思うに「認知症ケア」という学問は、その他多くの学問と比べて非常に異質です。なぜ異質かというと、研究室や実験室でできることはほとんどなく、大半が「現場」でないとできない、わからないからです。また、学問には知識、技術という大きな二つの能力が必要とされていますが、認知症ケアにはもう一つ「人間性や人格」というものがプラスされます。これも異質である所以です。
「人間性」とか「人格」と言われるものは、具体的にこれと言い切ることが難しいものです。漠然としています。その漠然としながらもとても大切な要素が他の学問ではどうかというと、「人間性が必須要素だと言われている学問」は他にあまり聞いたことがありません。こういうと世の学者さんはムッとされるかもしれませんが、何も他の学問には人間性は必要ないとも言っていませんので。
認知症という病気(症状)自体が他の疾病に比べてユニークであると言われます。それはその疾病を特定する「中核症状」に加えて、かつて周辺症状と言われた「行動心理症状」というものがセットになってくるということからも言えます。認知症ケアはそれに対応するものであるので、やはりユニークであると言えるのかもしれません。
認知症ケアで対象となるのは「認知症を持った一人の人間」です。もちろん、医学や心理学や人間を対象とする学問はいくつもありますが、その対象の人間の「人間性や人格」にこれほど切り込む学問は認知症ケア以外にあまり知りません。その対象の「人間性や人格」に切り込むので、認知症ケアを行うものも当然「人間性や人格」が必要となります。これらが必要になるということは、机上で勉強したり、研究室で実験したり技術を学んだりするだけでは研鑽できないのです。
人間性を磨くというのはどういうことを言うのでしょう。私は、それは「学問」から離れて、いろいろなことを楽しむことかと思っています。古代中国の詩人、李白のように人生、酒、友人、自然を愛して自由に生きるのもよし、映画や音楽など趣味を極めるのもよし、ボランティアなどで社会参加するのもよし、いこいの広場でお互いのことを語り合って思わぬ自分の強みを発見するのもよし。うーん、いろいろ考えたけど最後のが一番よさそうな気がするのは私だけでしょうか。
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