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#101 「許すこと許さないこと」
昨今のインターネットの情報を見ていると、よく「許せない」という言葉に行きつきます。いやいや、これは「昨今の」という修飾をつけずとも、昔から人類について回る、負の無形文化遺産なのかもしれません。今はネットで簡単に人の意見が出回る時代なのでことのほか、それを強く感じているということでしょう。
その事案の当事者が「許せない」という気持ちになるのは当然ですよね。たとえば、学校帰りに子供が何者かにふいに殴られて逃走した場合、その親は「許せない、早く名乗り出てこい」と思います。その時に「許してあげるから名乗り出てください」という方は、まあ皆無なんじゃないでしょうか。しかし、第三者がその件に関して「許せない」と公にコメントするのは、なんか腑に落ちません。それは「世の中の悪事を私が裁いてやる」という気持ちなのでしょうが、ちょっと違うような気がします。何故なら、その「許せない」というのはあくまでその当事者の強い感情であり、外から理論的にどうこう考察するものではないと思うからです。
まあそれは置いといて、「許せない」もとになったケースが大きなものであるときほど、その感情は長期間にわたって続きます。なかには何百年の歴史を経ても、その感情がくすぶり続けるがゆえに国同士、あるいは民族同士の紛争に発展したりすることもあります。いや、「こともあります」ではなく、大半はそこからでしょう、紛争は。
「許すこと」「許さない(許せない)こと」のどちらが楽だろうと考えます。私も白状すると何十年も前のことをいまだに許せないと思っていること(人)が、ひとつ(一人)だけあります。実はもう一つあったんですが、その感情はいつの間にか消滅してしまいました。しかし、その許せない感情は、だいぶ前から「あえて思いださなければ忘れているもの」になりました。生活の中の99.999999%は、その感情で悔しい、苦しい思いをすることはありません。思うに「許さない」と思い続けることには、莫大なエネルギー、負のエネルギーが必要です。そのエネルギーで自分を消耗させ、嫌な気持ちを引きずるくらいなら、ある段階で「許す」と無理にでも思い込んで楽になったほうが残りの人生楽しめるような気がします。「許す」ことからは自分の感情面がよくなることを含めて、多くのご褒美がもらえるような気がしてなりません。
まあ、「誰かが誰かを、何かが何かを許す」ということは他人の口出しできない不可侵の分野であるには違いないので、これ以上、それをどうこう言うのは控えます。でも「許す」のは一瞬の正のエネルギー、「許さない」のは長期間の負のエネルギーと私は思います。ちょっと強引でしょうか。
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