#097 「2025年あけましておめでとうございます」

今朝は自宅マンションの4階のバルコニーに出て、BGMはシベリウスの交響曲第1番第1楽章をかけながら、初日の出を拝みました。こんなふうに、日の出がいつ出るかいつ出るかと待ったのは本当に何十年ぶりだったでしょう。普段見ている景色もこの日だけは特別な景色になります。これが、お正月の初日の出のもつ価値です。同じように、普段と同じように見える町の人々も、その人だけがもつ価値をくっつけると特別な意味があるということを新年一番に思い付いたのですが、意味伝わっていますか?

 まあ世界平和とか安心できる社会とか大きな願いはあるとしても、個人的に今、一番考えるのは「時間がさらに早く過ぎ、残り時間が少なくなってくる」そのこと、そしてそれに伴って起こる自分自身の変化です。もうそう遠くないうちに、いろんなことができなく、わからなくなってくる。あるいは、かろうじてできてもペースがすごく遅くなったり、持続力や耐久力がなくなってくる。それは認知症という症状を抱えても抱えなくても程度の差があるだけで基本的には変わりません。身体的にも多かれ少なかれ、できることが少なくなってくる。健康を保つのが難しくなってくる。それらによって精神的にも意欲が落ちてくる。

 なんだ、そんな悲観的なことばかり思うなんて馬鹿げている。今楽しめればそれでいいじゃないかという向きもありそうです。その通りかもしれません。

 いや、その通りなんですが、私の場合は「心の準備」をすることも大切だと思っているわけです。やはり老化が進んで、あるいは死の淵にたって、あがいたりもがいたりするのは嫌ですからね。その時に、大きく息を吸い込んで、その時の自分を穏やかに受け入れる自分でいたいと思っている、それだけです。

 今年1年が皆さんにとって穏やかで有意義な年でありますように!

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