#094 「人の心の機微」

「機微」という言葉を初めて覚えたのは、宮本輝の小説を読みあさっていたころだと記憶しています。私にとっては比較的新しく入ってきた語彙です。しかし、どういう意味だろうと一応調べたものの、結局よくわからずじまいでした。

 そして今でも実はあまりわかっていません。たとえば「鼓動」という言葉であれば、心の臓が血液を循環させるために動くこと(どこの資料からも引用してませんよ)という分かりやすい具体的な定義を人に説明することができるわけです。しかし「心の機微」と言われても、具体的にこれこれこうと説明することはできません。つまりは「言葉では説明できない心の動き」というのが、まさに定義なのかもしれません。

 しかし、説明できなくても「人の心の機微」は、うかつにも人の行動のはしばしに表れてしまうことがあるというのが今日の言いたいことです。うかつにも。

 私は、自分がほとほと「行間が読めない人間」であることを自覚しています。そして、そそっかしく不注意であるばかりに、行間をすっ飛ばしてしまうことが多いような気がします。もう少しゆっくりと構えて真摯に人の言葉に向き合おうと思うのですが。

 しかし、「行間」とは相手の意図的な行為であることが多いのに対して、「人の心の機微」とは、もっと自然発生的なものであるような気がします。そして、これは私でも不思議なくらい感じ取れるんですよね。ただ、それを口で説明するのが難しいだけで。

 いや、おそらくですが、人の心の機微は自然にどんな言葉や行動や文章や表情や声なんかにもあらわれて、隠しておくことができないものなんじゃないかと思います。そして、それはどんな人でも知らず知らずのうちに伝えてしまっているもの、そしてわかってしまうものではないかと思うのです。ただ、それが上手く説明できないだけのことで。

 例えば、一通の形式的なメールが来たとします。それが、とても愉快な状況で書いたものか、実は怒っていて書いたものか、何となくですが感じ取れることはないですか。そして、それはその逆も真なり。私の実際の経験からですが、相手からのビジネスメールの内容に少し気を悪くして、しかしそこはビジネス上の関係と割り切って、至極丁寧に、感謝の言葉とともにメールの返事を返しました。すると、相手から一切返事が来なくなったケースです。こちらの心のうちを悟られてしまった思いでした。メールだけではなく、言葉はもちろん、極端な話、LINEのスタンプ一つにも、なんかその人の心の奥の思いや、感情や、心の機微があって、それが読み取れてしまう気がしてなりません。

 もし、世の中に、まったく心の機微が読み取れない相手があらわれたとします。よく観察してください。もしかして、その人はAIロボットかもしれませんよ。

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