#090 「あっても見えない」

これを認識し始めたのはそんなに遠い昔ではないと思います。しかし、「あっても見えない、なくても見える」ではありません。「ないものが見える」というのは、また別の症状で様々な疾患が原因で起こりうるものですが、これは今のところありません。

 さて、この「あっても見えない」ですが、障害とまでは言えない・・・と書こうとしましたが、それは障害のある方に対して壁を作ってしまうことになりますので、私の場合も立派な障害であると言いたいと思います。

 すぐ目の前にあるものを認識していないのです。おそらく視覚ではすでに目に入っているものが、それを認識する脳の部分が働いていないということでしょう。よく「あれ、どこいった?」「目の前にあるじゃない」ということになります。おそらく幼いころからあったものと思いますが、最近では疑いが確信に変わり、「この辺に置いたはず」というものはまさに目を皿のようにして探すようにしています。そうすると、何とか見えることが多いです。視覚認識障害に加えて、早合点障害(ないと思い込む)もあるのでしょう。

 思えば、視覚情報をくまなく取り込むことは、学生のころから明らかに苦手としていました。それは、古典は高い点数を取っていたのに、現国になると途端に点数が悪くなる、ということにも表れていました。古典とか英語とかの普段と少し世界が違うものは、逆によく注意するので得意としていました。現国は長文読解が大の苦手だったのです。今でも、本を読んでいても同じページを繰り返し読まないと入ってこないことが多いです。たとえば、同じ本を2回目読んだとして「あれ、こんなことが書いてあったんだ」と思うことが少なからずあります。その情報は一回目には取り込まれていなかったのです。

 「視覚認識に難があるんですね。なら、聞いたものはよく入ってくるんでしょうね・・・」かと思いきや、そうでもありません。視覚と聴覚が混在した情報、たとえば映画の内容などでも「さっきのあの場面は・・」と言われて「そんなのあったっけ」ということもあります。聴覚情報だけでも、人の話しの肝心のところを聞いていなかったりします。しかし、それは急に自分の考え事が頭に入ってきたから、という理由もあります。これ、相談援助職としては致命的ですよね。厳に慎みます。

 まあ大方は、全力をかけて注意していれば改善できる問題だと思います。要は、せっかち、早合点、思い込みという3大障害を克服することです。そうすると「あるものが見えない」状態は完全とまではいかなくとも少なくなり、いつかはちゃんと見えてくるはずなので。

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