#086 「『老いる』ショック」

 また出ました。恒例の駄じゃれ、親父ギャグ。「老いる(オイル)ショック」と来た。それでは、老化とは無縁でずっと若々しくいられることは、「ノン老いる」とでもいうのでしょうか。まだ始まったばかりですが、「お後がよろしいようで・・・・」。

 昨夜はだいぶ前に録画した「池上彰さんの解説番組」を見ていました。私は好きで、だいたい欠かさず録画して見るようにしています。池上さんがそんなに好きというわけではなく、そこから得られる豆知識やパネラーの芸能人とのやりとりが面白いからです。

 その中で言われていたのが、人は徐々に老化していくわけではなく、「データによると、人は44歳と60歳で急激に老ける」というものでした。こういう番組にありがちな「データによると」というのは曲者で、いったい何のデータでどんな根拠があるのかはあまり説明なく、あったとしてもサラッと流す程度です。(今回のことではないですが)ときに「あれ?前に聞いたことと真逆のこと言ってる」なんてこと、結構ありませんか。正規の論文などでは許されないことも、こういうバラエティ系の番組ではそれほど気にしなくてもいいのでしょうね。ただ、こういった豆知識が出るたびに、「こんなことらしい!」とあっちへ走りこっちへ走り、右往左往させられるのは視聴者なので、やはり情報も取捨選択が必要ということでしょう。

 さて、今回はその情報の取捨選択がメインテーマではありません。この「44歳と60歳」を自らに当てはめて検証してみたいという試みです。テレビでも言っていましたが、この二つの山(いや、谷)は、男の厄年とだいたい重なるとのことでしたが、そのときに老けたかどうかは定かではないものの、その二つは私の人生の中でも確実にしんどい時期、精神的に上がらない時期であったことは事実です。そういう意味では、それが肉体にも影響して老けたというのは当たっているかもしれません。元来、だんだんと老けていくはずの人間であるが、そういう「谷」の時期にそれが急階段のように老けるということがあるということでしょうか。

 44歳は間違いなく「迷い」の歳でした。世間で40歳は「不惑」の歳です。40歳で自分の学校をシンガポールで立ち上げたときは「不惑」であったはずの私は、44歳の前から、早くも「迷い」のときに入っていました。それは自分の事業につきまとう常時の心配、運営に関する迷い、そして身近な親類の健康問題と事業のこれからの進退問題なども重なって、体重は立ち上げ前から20キロ近く減っていました。今でもその頃の写真を見ると目を覆いたくなります。

 60歳はと言えば2020年、まさにあの世界中に悪魔が舞い降りてきた年でした。自分が個人的にどうこういうことではなく、しかし特に高齢者施設で働いていた私は、毎日、戦々恐々としていました。施設内を消毒して回り、入居者さんの体温を管理し、入館制限を設け、濃厚接触の可能性がある人は部屋に隔離し、朝昼晩、完全防備で食事を部屋まで運ぶという日々。朝と夕にその濃厚接触の方の検温の時間は、本当に心の臓が口から出そうなくらいバクバクし、休みの日も職員からいつ電話があるかと心が休まらなく、おびえる日々でした。精神的にかなり疲れていました。

 でも一方で、それ以外の歳はすべて呑気に楽しく過ごしていたかというと、もちろん、そうでもありません。楽しく前向きな時期、落ち込んだ時期、バリバリやっていた時期、大変だった時期とまさに「人生は山あり谷あり」でした。それはどなたもそうではないかと思います。その中で、「老い」は徐々に進んでいったのではないかと思っています。

 それは、いつも認識しているものではなく、歳とともに、少しずつ自分の中の「老い」に気づいていく積み重ねだったような気がします。突然、急階段のように老いる時期があるとすれば、それこそ「『老いる』ショック」というもので、その時の自分の内なる葛藤は非常に大きいものでしょう。徐々に進むから、「しょうがない」と認めていけるのかもしれません。そして、それとつき合いながら生きていく。「あえて自分の老いにあらがわない」、私のめざすところです。

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