#084 「文を書く」

 この年になって物書きになろうなんて大それたことは考えていませんが、死ぬまでに1冊でもいいので何かを出版して見たいという夢はあります。たとえそれが自費出版でも。売れるなんてありえないと考えたほうが無難なので、先ずは書くことが先決です。そう思い、実は2年前くらいからあるテーマでノートをつけ始めたんですが、結局尻切れトンボになってしまいました。いつもこれです。

 そもそも文を書くことは好きです。子どものころからを考えて、宿題やレポートや卒業論文やら否が応でも文を書かなければいけなかったようなものは除いて、いつごろどんな文を書いていたかを振り返ってみました。

 小学生  日記、作文

 中高生  日記

 大学生  ほとんど書かず

 会社員  ビジネスレター

 介護職  お知らせの類

 現在   ブログ

 こんな歴史を振り返ってみて、これだけで文章を書くのが好きだったと言えるのかどうかは疑問ですよね。でも日記にしてもお知らせにしても、できるだけまめに書くようにしていました。つまり書く数でいえば、とても多かったんだと思います。

 自分は文を書く才能があると勘違いしたきっかけは、小学校で1~2回、作文コンテストで優秀賞をとって表彰されて、朝礼の時に生徒全員の前で読まされたというエピソードからです。そのひとつの作文は、今でもはっきり覚えていますが、「家で初めてジュウシマツを飼った時の喜びとどのように世話をしたか」を細かい描写とともに書いたものでした。その時の文の特徴は、「なにかに例えて今見ているものを描写すること」と「会話をそのまま文の中に面白く取り込むこと」だったと思います。

 それは、日記を書くようになってからも引き継がれたと思いますが、だんだん思春期を迎え、それを過ぎるころはほとんどが「自分の内面のこと」を書くことが多くなってきました。自分がもう一人の自分と対話している様子などはよく書いていました。悩み多き青春でした。特に高校生の頃にあまり明るい思い出はありません。

 その反動か、大学では遊ぶことばかりの4年間(実際は留年があったので5年間)でした。社会人になってからはもっぱらビジネスレターでした。これを「文を書く」歴史に含めるのはいかがなものかと思われそうですが、とにかく数多くいつも書いていた印象だったので、まあ歴史に含めても良いかと思います。介護職になって管理者になって、職員やご家族に対して手紙やお知らせを書くのも同じ傾向でした。たくさん書きました。その頃から、書く文章の特徴は少し変わってきたように思います。まあ仕事で文を書くのですからある程度はやむを得ないとは思いますが、だいたい上司には「文が硬い」「長々しい」「小難しい、もっと平易な文で」と言われ続けていました。それが今のブログにも現れているのは確かでしょう。

 話変わり、私は知らなかったんですが同じ神戸市在住で最近すごい人気らしいエッセイストで岸田奈美さんと言う方がテレビ番組に出ていました。NHKドラマ「家族だから愛したんじゃない、愛したのが家族だった」の原作者ということでわかりました。テレビの中で紹介されていたのは、とても短く簡潔で、それでいて思いのたけがあふれている素敵な文章でした。エッセイ=ブログと言い換えることもできますよね。また、これは本屋で立ち読みしたんですが、今年のノーベル文学賞作家、ハン・ガンさんの小説も短く簡潔でした。ちゃんと読んでみたいと思っています。

 今はそういうスタイルが旬なのかなあ。まあ、だから自分もそう変えていかねばと思わないでもないですが、自分のスタイルは一生変わらないような気もします。           (写真は朝日新聞デジタルウェブサイトより)

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