#078 「ほぼほぼムリクリ」

ハロウィーンが終わると、街はすぐさまメリクリの飾り物一色に代わっていきます。まだ去年の紅白の録画も見てないのに、もう次の紅白かと思うと、さすがにちょっと焦りますよね。で、今日はメリクリの話題・・・ではなく、ムリクリです。

日本語の語彙・言い回しは時代とともに変わることがよくあります。それ自体は普通のことなんでしょう。極端に言うと、今の若者たちが万葉言葉で会話していると周りの人は驚くでしょう。また、サラリーマン同士が「拙者○○でござる」(そもそも、武士が本当に拙者、とか言っていたのかは怪しいですが)とか話していると笑いますよね。

 それは極端な例としても、しばらく日本から離れていて帰ってきたら、言葉遣いが変わっていたという経験をしました。急に聞いたことのない使い方があったりして驚いたものです。たとえば、帰国当初びっくりしたのは「違くて」という使われ方です。海外の最後の5年間はシンガポールで日本語を教えていましたが、そんな言い方を生徒がしたとしたら、「いや、〇〇さん、その言い方は間違っていますよ。『違くて』だと『い形容詞』になるけど、『違う』は動詞なので、正しくは『違って』とか『違っていて』と言うんですよ」と大真面目な顔で言っているでしょう。しかし今は、少なくとも多くの若者はそう使っているし、スキマスイッチやBack Numberの歌にだって出てくる。もう市民権を得ているということでしょう。でも、聞いていて、昭和のおじさんはなんだか気持ち悪いです。

 帰国後しばらく住んでいるのに、なんだか知らないうちに「あれ?みんな使っている」という語彙や言い回しもあります。そんな言葉の代表例が「ほぼほぼ」と「ムリクリ(無理くり)」でした。

 最初にこの言葉を聞いたのは、今でも忘れない、2015年にある高齢者施設の立ち上げにかかわっていたとき、その建物の建設工事を請け負うゼネコンの現場総監督が、工事の進捗状況を話し合う会議の場で多用していたのです。まだ若く、イケイケのまっすぐな性格の方でした。私はまさか会議の場で「ほぼほぼって何ですか」とも聞けないし、まあ文脈から「ほぼ」の意味で使っているのは間違いないし、スルーしていました。ムリクリというのも「無理やり」だろうなあ、とそんなおおざっぱな感じです。

 語彙を会話の中から覚えていくというのは、語学教育の中では望ましいことだと思います。シンガポールに赴任した当初は、英語表現の中でも聞いたことのないようなものがいくつかありましたが、そこが学校英語と生きた英語の違いで、おそるおそる真似をしていくうちにそこから会話が広がるようにもなりました。

 なので、「ほぼほぼ」も「ムリクリ」も(もともと方言や人の口癖なんかがすぐに乗り移る体質ですし)自分の会話の中で自然に使うようになっていました。これ、ホンマに正しいのかなあと相手の反応も見ながら。あらためて調べてみると、「ほぼほぼ」はやはり、2016年の新語大賞に選ばれているくらいで、だいたいそのころから使われ始めたというのはドンピシャでした。ムリクリは「無理繰り」で、もともと北海道、東北の方言で「無理やり」の意味で使われていたようですが、今や全国区のようです。

 いやあ、言葉って本当に面白いもんですね!(水野さん、あの世でも映画見まくってるかな~?)人に歴史あり、言葉にも歴史ありですよね。

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