#046 「世界は二人のために、技術はだれのために」

これはブログとして書くべきなのか、はたまた独り言にとどめておくべきなのか迷うところですが、書き始めてしまったので責任をもって書こうと思います。

 いうまでもなく、世界も日本でも技術の進歩は留まるところをしりません。身の回りのちょっとした電化製品から、パソコンや周辺機器、通信機器に、行きつくところはAIを用いた数々のソフトやロボット製品ときりがありません。

 私が今日言いたいことは、これらのハイテクノロジーを搭載した製品を、私のような一般ピープルがいったいその何%くらいを理解し、そして使いこなしているかということです。

 例えば、エアコンを例にとりましょう。うちでは、予想される猛暑に対応するため、この2年で自宅のエアコン3台すべてを新しいものに交換しました。経済的に非常に大変なことではありましたが、すべて春のうち、まだ価格が安いうちに購入したのは手前味噌ながら、賢明だったと思っています。それはさておき、エアコンもどんどん機能が進化し、取り付け担当者が来る都度、その機能についての説明を受けましたが、自動設定、入り切りタイマー、加熱除菌、自動クリーニング、風向設定、フィルターお掃除などいったいどれだけの機能を活用しているでしょうか。せいぜい温度を上げ下げして風向を変えているくらいではないかと思います。しかも、3台のうち、どれかは自動じゃなく手動でフィルターの掃除をしなければいけないものだったはずですが、どれだったかの記憶もあいまいです。

 エアコンでもこうですから、スマホ、パソコン、そしてあらゆるアプリやソフトときた日には、それらの機能の2割も使いこなしているか怪しいものです。私が楽器メーカーに勤めているころから、すでに「ユーザーフレンドリー」という言葉がよく使われていました。テクノロジーだけが独り歩きしていくのを製造者が自戒し、ユーザーに使いやすく設計していくのは、今も定番ですよね。しかし、いくら「使いやすさ」を求めるからと言っても、製造者同士の技術の競い合いは終わるところを知らないのです。どこが最後に「ドヤ顔」をするか。そこでは、必ず私のような末端ユーザーが置いて行かれているのです。

 なんだかなあ。虚しい気がするなあ。使われない8割の機能がもったいなくも思います。ユーザーが手間ひまを惜しむことなく、使いこなすように努力すればいいことなんでしょうか。技術が進歩すればするほど、そのユーザーの能力と「製品の持てる能力」の乖離が大きくなってきているような気がします。

 ネットバンキング、○○Pay、私はそれらとは無縁ですが、一部のアナリストの見解によると、公共料金とかそういうものもすべて近い将来、ネットバンキングだけになるかもしれません。電車の切符がなくなり、コンビニでは現金が使えなくなり、そのうち名刺やキャッシュカードや診察券や運転免許もなくなるでしょう。私たちがそのうち後期高齢者になり、そういうものを使いこなすことが出来るのでしょうか。世界は二人のために、そして技術の進歩は誰のため?

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