#042 「コロナの階段昇る」

思えば、2020年1月にダイアモンド・プリンセス号が横浜に寄港した際に多数のコロナ感染者が確認され、とうとう日本にも新型コロナ感染症がやってきたというニュースが全国的に話題になってからすでに4年半が経過しました。

 その当時はとある高齢者施設で管理者をしていましたので、まさに日々、戦々恐々としていました。「濃厚接触」という言葉がやたらと飛び交い、「濃厚接触」の定義の細部で揺れました。毎日のように保健所に電話し、「濃厚接触と思われる」入居者は2週間も部屋に缶詰めになり、外からの訪問は制限され、スタッフは毎日、健康状態の記録が義務付けられました。うちは高齢者向け住宅でしたので、入居者自身を過度に制限することはありませんでしたが、パーティションや消毒の設備、日々の健康チェックの奨励のポスター作り、フレイルにならないような屋内体操を催したり、退屈しないように館内図書館を始めたり、入居者便りを定期発行したり、創意工夫の毎日でした。もちろん、その他の介護保険施設ではそれどころではない、まさに戒厳体制が敷かれていたことは言うまでもないでしょう。介護職員は心身ともに疲労していました。

 私も「濃厚接触者疑い」の入居者に毎日食事を届けたり、体温を図ったりしていたときは、帰宅するといつも、家族からの「消毒液のシャワー」を浴びせられていました。頭からシャワーをかぶりながらも、何故かとても嬉しかった記憶があります。おそらく新婚カップルのライスシャワー以上に嬉しかったと思います。

 時は過ぎ、2023年5月に新型コロナは「感染症分類第5類」に移行し、人々はマスクを外し始め、外国人旅行者がなだれ込み、街が賑わいを取り戻しても、基本的に私たちの私生活は変わりませんでした。2021年6月、まさにコロナ感染症が何度も緊急事態宣言を繰り返していた頃、妻は自己免疫疾患で指定難病である重症筋無力症と診断され、感染症は禁忌だと言われたからです。ワクチンもマックスの回数受けましたし、必要以上の外出や外食は引き続き控えていました。

 それが、世間の風潮に少しは影響されて、私たちの気持ちも少しずつポストコロナの方に傾き始めていたころ、その時は突然やってきました。家族全員が感染してしまったのです。いくら現在の新株の感染力が最強に強いと言っても、まさに青天の霹靂でした。父が最初に発症したのですが、部屋に隔離するのも早く、対応に抜かりはなかったと言えますが、そんなことお構いなしに次の晩、二人がそろって発熱しました。これを称して「災害は忘れたころにやってくる」うん、これそのものです。ついに私たちは「大人の階段」ならぬ「コロナの階段」を昇ってしまいました。

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