#036 「僕が認知症になったら」(1)

普段から「認知症になっても怖くない」と公言している身として、やはりやっておかなければならないシミュレーションが「僕が認知症になったら」ということです。もちろん、「認知症になっても怖くない」というのは、あくまで私のモットーで、現実にすべての人がそう思えることは不可能に近いと思います。自分自身だってわかりません。

 しかし、「僕が認知症になったらどうなるか」ということをとりあえずアルツハイマー型で想定して記録しておくのは、ひょっとしたらその後の自分自身や、回りでかかわってくれる人たちにとっては、有効なデータになる可能性もあります。なので、認知症専門職の知識を少し駆使して根拠をもってそれをやってみようと思います。

 まず、中核症状ですが、確実なのは「視空間認知の障害」が出るということでしょうね。車を前から駐車してもまっすぐに入らない。右と左がわからなくなる。すぐ目の前にあるものを探している。本は同じページを繰り返し読まないと入り込まない。こういう幼いころからの苦手なものが、認知症になると確実に悪化するという前提で話すと、それは間違いなく起こるでしょう。階段を降りるときは、今でも踏み外しそうになりますが、よほど気をつけてゆっくり降りないと、転落する可能性がありますよ。

 「記憶力」に関しては、まあ普通程度に落ちていくでしょう。短期記憶はもう結構あやしくなってきています。それに加えて、意味記憶の部分が心配です。人の名前や語彙が思い出せないことが増え、「あれ」や「それ」で代用するケースが増えています。一方で、長期記憶、特に五感と結びついているものはよく覚えていますよね。昔、ある時に聞いたメロディーと、それに付随している歌詞、ある時に嗅いだ匂い、ある時にふれた触感などはいつまでも忘れません。

 「見当識障害(時間、場所、人)」はどうなんでしょう。時間や人は大丈夫だとは思うのですが、人に意味(名前)が付随すると、もう今でもかなり怪しいですよね。場所についてはかなり悪くなるんじゃないでしょうか。方向感覚は人に誇れるくらい悪いです。神戸にいると、だいたい「山側」「海側」でくくれるので、あまり苦労はしていませんが、他の町に行くと間違いなく迷子になりますね。東西南北も怪しいものです。なにせ左右が怪しいですので。

 その他の中核症状も普通程度に落ちていくでしょう。逆に認知症になってもこれは大丈夫と自信を持って言えることはなんでしょうね。自分の能力としてそれが何なのか、これからはそれを探し、鍛える人生にしていきたいです。さて、次はBPSD(行動心理症状)です。

(「僕が認知症になったら」(2)につづく。)

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