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#021 「居場所」
91歳の父は最近、自分の居場所を見つけたようです。もちろん人は一日24時間、1年365日どこかで生活をしているわけですから、生きている限りどこかの居場所にいるはずです。しかし、最近よく聞かれるようになった「居場所」という言葉は単に物理的に生活をしている場所という定義を超えて、もっと人間の深層的な部分までかかわるキーワードになってきました。
リビングのソファーで漬物石のように動かず、一日何時間もテレビを見て過ごす父。息子から「自分の好きなことないの」とか「たまには散歩に出たら」と口うるさく言われても、それらを右の耳から左の耳へと受け流しつつ、内心ムシャクシャしながらも座り続ける父は、まるでハンストをしているデモ参加者のようです。
しかし父のちょっと違うところは、自分の居場所がなくて、仕方なくそのソファーを占領しているわけではなさそうなことです。父には明確に「テレビを見たい」という意思があるからです。ニュースが見たい。映画が見たい。たとえそれが、一日中ほとんど同じ話題を繰り返すNHKのニュース番組でも、ついこの間見た映画のDVDでも。昔からこんなにテレビを見る人だったかしらという思いはさておき、明確な意思をもってソファーを占領している父にとっては、そこは他には代えがたい「居場所」なんだと思うように(するように)なってきました。
しかし父は最近、もっと大事な「居場所」を見つけることができたようです。それがデイサービスです。正直言って、父のような内向的な人はデイサービスに行きたがらず、行ってもすぐやめたいと言い出すと思っていました。それが次のデイの日を楽しみにするようになり、生活の中で鼻歌が出るくらい調子よくなりました。不思議なことに、身体も元気になり、歩行状態も昨年末からは比較にならないほど改善しています。91歳にしておそるべき進化です。デイのアクティビティにも喜んで参加し、昔取った杵柄のハーモニカを披露し、自分からクイズ問題を紙に書いて出題しているそうです。
もちろん、デイの職員さんが上手にリードし、誉めちぎり、ちやほやしてくれることが大変心地いいのでしょうが、つまりは父はそこに自分のいる存在価値を見出したのだと思います。役目を見つけたのです。自分の職場のような言い方をすることがあります。ソファーよりももっと心身に気持ちの良い居場所を見つけたということですね。若い頃は会社人間だった父の本領が発揮されているのでしょうか。
皆さんにとっての「居場所」はどこでしょうか。
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