#020 「百見は一聞にしかず」

私が本や文章を読むのに時間がかかると自覚し始めたのは、いつ頃からでしょう。あるいは、子どものころは全く自覚していなかったかもしれません。小学生のときは探偵小説一本やり、中学に入ってからはそれなりに純文学や小説、随筆などを人並みに、いや若干、人よりも多く読んでいたかもしれませんでしたが、読書少年と呼ばれるほどでもありませんでした。

 児童向けの「怪人二十面相シリーズ」などは大好きで、小学生の頃は、ほぼ全巻買ってもらい読みあさっていましたが、一冊読むのにどれくらいかかっていたかの記憶はあいまいです。一方その頃から、内容は面白いから早く読み進めはしても、結構細部の読み飛ばしがあったように思います。その「内容の読み取りの欠陥」を嫌でも思い知らされたのが、高校生のときです。「現代国語」で思うような点が取れなくなり、(しかし「古典」の成績は常に学年トップクラスで「古典の矢野」とも呼ばれていたくらいでした)不思議に思った担任の古典の先生が個別指導してくれた結果わかったのが、長文読解が悪く、細かい内容が把握できていないことでした。

 そして自分で認識したのが、理解力の問題(多少あるでしょうが)よりも、視空間認知に問題があるということです。なあるほど。いろいろなことがこれで説明できます。今現在のことで言うと、すぐ目の前にあるものを探していること、車の車庫入れがいつまでたっても上手くならないこと、お知らせの中の「重要な語句」を抜かしてしまっていること、本を読むときに同じページを何度か読み返さなければいけないことなどがそれにあたります。

 これが、聞く情報であれば、案外すんなり入ってきます。まあ、ときどきボヤっと別のことを考えていて、「聞いてるの!」と怒られたり、「さっき言ったのに」と苦笑されたりすることはよくありますが、それはまた別の問題ですね。情報としては、聞く方が断然、楽に入ってきます。

 人それぞれですよね。あまのじゃくなので、一般的な名言を引用するのは好きではないのですが、「みんな違ってみんな良い」は、その通りです。それぞれの違いを気にせずに、互いに補い合いながら、ボーダーレスで生きていきたいと思います。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • いつも楽しく読ませていただいています。私も小説などを読むとき、同じ箇所を戻って何度も読んだりします。でも、耳から情報が、特に英語の場合、弱いので、耳から情報が得意というのは羨ましい限りです。★タイトルの「「百見は一聞にしかず」は目からは勝手に「百聞は一見にしかず」と読んでいました。これは耳からの方が気付きやすいですね。

    • いつも読んでいただき有難うございます。そうですよね、確かに言葉には耳から聞いた方が理解しやすいもの、逆に読んだ方が理解しやすいものなどパターンがあります。これからもごひいきにお願いします!

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