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#152 「マスクは続くよいつまでも」
新型コロナ感染症が、ダイアモンドプリンセス号で日本に初上陸してからも早や5年経ち、さらに感染症第5類に移行してからも1年以上が経ちました。街を往来する人たちもマスクをしていない人が多数派になり、いまだにマスクを外さない、いや外せないうちの一家は希少価値になりつつあるかもしれません。
それでも、わが湊川町の周辺で言えば、印象として2割くらいの人は今もマスクをしており、これは単なる推測にすぎませんが、日本全国でもマスク率は高いほうかもしれません。高齢者率の高い地域で、マスクをしているのも高齢者が多い様子です。まあこんな統計、どこの官庁もやっていないんじゃないかな。
うちは家族の病気の関係で、感染症にかかることが特に悪い影響を与えるという理由もあって外に行くときはずっとマスクをしていまます。それでも家族全員それぞれ一回ずつ新型コロナは頂戴しており(みんな6回以上ワクチン接種していますが)マスクをしてようがしていまいが100%の予防は不可能なんだと思っています。まあその各一回の感染は父からのお土産で「家庭内クラスター」でしたが。
それでも私たちはマスクをし続けます。私は特に「外すとなんか心もとない」という気持ちにさえなっています。何でしょう。口元になんか足りない感じがするんですよね。慣れというものは怖いものです。夏になると暑くて呼吸が苦しくて鬱陶しいし、冬になると眼鏡が必ず曇って、そのうち面倒くさくなってよく見えないまま道を歩き続けたりします。これは危険なのでお奨めしません。ちゃんと拭きましょう。
コロナ禍になり、いつのころからかマスクは人に移さないだけではなく、感染予防のためにも有効との見解が公に出されて、国民皆がマスクをし、それが日常になってきました。マスクが品薄になり値段が高騰し、そのうち店頭から消えて、アベノマスクが配給され(介護施設では助かりました)、私たち介護職は布マスクを毎日洗って使うようになりました。ソーシャルディスタンスとか三密とかが流行語になり、マスクをしない人を批判する自粛警察が現れたり、布マスクにデザイン性を求める風潮になったり(私なんかはマジックで絵を描いたりしていましたが)、そうこうしているうちに「布マスクは効果が薄いので、不織布マスクを使ってください」というお達しが出たり、「あーあ、せっかく可愛いマスクをそろえたのに」とがっかりしたりと。マスクだけでも一つの本が書けるくらいになりました。

コロナ禍前のパンデミックの一つであるSARSは私たちもシンガポールでその渦中にいました。すなわち人生で2回のパンデミックを経験したのです。2003年当時はネットからくる情報は生活には密着しておらず、地元の新聞での情報だけではなかなか全貌はわかりませんでした。そんな中の頼りは周囲の人々から入ってくる噂話ですが、今から思えば、それが真実だったのかデマもあったのかもよくわかりません。
当時、初めてキャランティーン(quarantine=隔離)という言葉を覚えましたが、シンガポール人の間でも定着しておらず、ある人は「Mr.キャランティーンはまだ来てないよ」と人の名前と間違っていました。「マスクをしているのは日本人だけ」というのも話題になりました。実際ある日乗ったMRT(地下鉄)の同じ車両で、マスクをしているのは私たち夫婦と、あるインド人親子だけでした。ひょっとしてその方たちは感染者だったのかもしれません。知らんけど。
よほど自分がひどい風邪でない限り、マスクはつけないという日々は来るのでしょうか。周りもそうだけど、少なくともうちの家族に。でも、お互いが「マスクをつけていてもつけていなくても」特に気にしない社会になったことは確かです。マスクをしていることも尊重されるし、していることも尊重されます。多様性が受け入れられる社会ということですね。
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